ソ連の道連れに
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 06:25 UTC 版)
1980年代初頭、ザイールの指導者モブツ・セセ・セコが中央販売機構を拒絶したが、デビアスはザイール政府に買収される前に高値をつけて原石を買い占め、政権の競争力を殺いでカルテルに復帰させた(守)。オーストラリアのキンバリー地域では1983年にコンジンク(Conzinc Riotinto of Australia)の参加するジョイント・ベンチャー(Ashton Joint Venture)が中央販売機構に参加した。このジョイント・ベンチャーにアーガイル鉱山(Argyle diamond mine)が含まれていた。カルテルでアーガイルは生産量の1/4を独自に販売できるが、品質の良いものは全部を中央販売機構に売却しなければならなかった(守)。自社加工する時ですら一度カルテルを通さなくてはならなかったし、広告まで制限された。1984年アフリカの24カ国が飢饉に陥り、翌年スーダンとウガンダとナイジェリアでクーデタが起こった。1988年、ソ連で金属・宝石産業の国家独占企業が誕生し(Glavalmazzoloto)、ソ連崩壊まで中央販売機構に原石を供給した。それが独立国家共同体となって、軍需物資として利用されてきた品質の悪いダイヤをだぶつかせて世界的な供給圧力となった(守)。そこで中央販売機構はソビエト連邦の崩壊後に結成された独立国家共同体(CIS)からの買い付けに差別価格を導入して、供給過剰な低品質の原石は価格を下げ、反対に高品質の価格を上げた(守)。1994年、工業用ダイヤモンドの価格カルテルをゼネラル・エレクトリックと結んだ。ゼネラル・エレクトリックはリークした。その同年から翌1995年にかけてロシアと中央販売機構は、各自で莫大な量の安い原石をインド市場に売りさばいた(守)。1996年6月、アーガイル鉱山が中央販売機構を脱退した(守)。この手続はデビアスが直接行い、親会社のアングロ・アメリカンは立ち会わなかった。1997年2月に中央販売機構と、ソ連のダイヤモンド鉱山を多くを引き継いだロシア連邦で若干の調整が行われた。1998年初め、中央販売機構はトロントに事務所を開設した。カナダ政府はダイヤモンドに対して原石ではなく生産に対して課税するようになり、中央販売機構の買い取りを助けた(守)。2000年7月14日、デビアスは公式にカルテルの終結を宣言し、中央販売機構は単なるDTC として販売を継続するとした。2001年、アングロ・アメリカンがデビアスとの株式の持ち合いを解消、支配率を32%から45%に引き上げた。2003年、プレミア鉱山はカリナン鉱山と名前を変えた。2004年にデビアスはゼネラル・エレクトリックとのカルテルを理由に米司法省から1千万ドルの罰金を課された。2006年2月、デビアスは欧州委員会と合意し法的に拘束され、2008年末から将来にわたりアルゾア(Alrosa)からの低品質原石を仕入れることができなくなった。2008年7月、カリナン鉱山をペトラ(Petra Diamonds)に売却した。
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