ソ連の消滅、ロシアの再生とチェチェンの選択
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 04:21 UTC 版)
「チェチェンの歴史」の記事における「ソ連の消滅、ロシアの再生とチェチェンの選択」の解説
12月8日にエリツィン・ロシア大統領、レオニード・クラフチュクウクライナ大統領、スタニスラフ・シュシケビッチ・ベラルーシ最高会議議長の3首脳がミンスクで会談し、緩やかな「独立国家共同体」(CIS)の創設を決議する。12月21日には11主権共和国代表からなる国家評議会がカザフスタン共和国の首都アルマトイで開催され、「独立国家共同体(CIS)」憲章と8カ国の加入を承認。またロシア共和国など4共和国による核兵器の統一管理に合意への8カ国の加入を決議した。 ゴルバチョフは12月25日にソ連大統領を辞任し、翌26日ソ連最高会議共和国会議がソ連邦消滅宣言を行う。12月31日深夜、69年間続いてきた「ソヴィエト社会主義共和国連邦」はその歴史を閉じた 1992年1月、グルジアのガムサフルディア政権が打倒される。ドゥダエフはガムサフルディアを難民として受け入れたがガムサフルディアは後日自殺した。 エリツィンは「ロシア連邦条約(新連邦条約)」によりロシア連邦の崩壊防止に当たった。ロシア・ソビエト最高会議議長ルスラン・ハズブラートフは「新連邦条約」への参加を各共和国に促し、「新連邦条約」に21共和国中19国が署名。3月13日に「ロシア連邦」として再生することとなる。一方、チェチェン・イングーシ自治共和国とタタールスタン共和国はロシア連邦に参加しなかった。 6月にロシア連邦大統領令により、チェチェン・イングーシ自治共和国が、チェチェン共和国とイングーシ共和国に分離し、独立する。10月にはイングーシ共和国と北オセチア共和国との間で武力紛争(オセチア・イングーシ紛争)が勃発した。1993年10月、ロシアで10月政変が起こり、エリツィンとハズブラートフが対立。12月、ロシア連邦憲法が国民投票で可決され、成立。1994年2月15日、タタールスタン共和国がロシア連邦に加盟し未加盟国はチェチェンのみとなる。
※この「ソ連の消滅、ロシアの再生とチェチェンの選択」の解説は、「チェチェンの歴史」の解説の一部です。
「ソ連の消滅、ロシアの再生とチェチェンの選択」を含む「チェチェンの歴史」の記事については、「チェチェンの歴史」の概要を参照ください。
- ソ連の消滅、ロシアの再生とチェチェンの選択のページへのリンク