スポーツへの興味
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「ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム」の記事における「スポーツへの興味」の解説
アール・マクトゥーム(以降、本項では慣例に従いシェイク・モハメドと表記する)は、サラブレッドの国際競走と生産の主要な大立者(オーナーブリーダー)である。ダーレースタッド(ダーレーグループ)を所有しており、米国、アイルランド、英国に牧場を有する世界で最大の馬の繁殖業務を行う。1985年にサラブレッドのパークアピールを第2シーズンの終わりに未公表の金額で購入した。パークアピールは、12歳の子馬で9頭の勝馬を生産し続け、多くの成功馬の種馬(種牡馬)である。 「私の家系には馬に対する愛情が流れている。馬はアラブ民族によって何世紀にもわたり育てられ、狩り、戦争、アラブ史の象徴として使われたてきたことを忘れないで欲しい。乗馬は単に馬の背中に跨るという以上の意味がある。それは高潔さと騎士道である」-- ムハンマド・ビン・ラーシド英語版 子供時代から乗馬を学び、特に父親のシャイフ・ラーシドが上手に教えた。将来を約束された俊敏な運動選手で、テニスとフットボールで勝利を勝ち取った選手だったが、スポーツに対する真の情熱は馬術に集中している。幼少時に(学校の登校途中に馬と朝食を取ったりしていた)馬をレースに参加させているが、1967年にニューマーケット競馬場で、兄のハムダーンと一緒に、ロイヤルパレスが勝利を収めた最初の正式なレース2000ギニーを観戦した。自己の権利で馬主になり、10年後にブライトン競馬場で所有馬ハッタが最初のレースで勝利する。その5年後にシェイク・モハメドとハムダーンは、3つの種馬飼育場と訓練を受ける100頭の馬を所有した。 1981年の後半に、英国バークシャーのニューベリー近くにゲインズバラスタッドを購入した。アイルランドのカウンティティペラリー県バリーシーンスタッドを所有する。同様に米国ケンタッキー州のウッドフォード郡バーセイルズ市にゲインズバラ牧場株式会社を所有する。 シェイク・モハメドに成功をもたらしたものは単にお金だけではなかったことがすぐ明白になる。1992年までにドバイで馬の越冬を開始し、この頃からしばしば英国の調教師や専門家の助言に反対し始める。その後、競走馬の相次ぐ勝利を果たして注目を集めニューアプローチ、1994年に兄のマクトゥームと共に競走馬の生産・管理・調教などを行う組織ゴドルフィンを設立して本格的に活動を開始した。その結果、ゴドルフィンは、シェイク・モハメドのアイデアで以前は不可能だった事が十分実行できることを確信させた。1995年に、レースに対する専門家から直接手取り足取りで訓練するハンズオンアプローチで筆頭調教師のヘンリー・セシルとの競馬に関する見解の不一致後にシェイク・モハメドの要求した馬が怪我をし、重大な決裂の結果に繋がった。セシルは議論を公にし、シェイク・モハメドはセシル調教師から40頭の馬を全部引き上げた。 ゴドルフィンの初の勝利は、1994年の英国エプソムダウンズ競馬場エプソム競馬場で行われた競走馬バランシーンが出馬したロワイヤルオーク賞で、中にラムタラ、デイラミ、ファンタスティックライト、ストリートクライ、サラマニドバゥイ、ラモンティのような馬と卓越した走りの始まりを記録するはずだった。結果は、このレースが初戦のランフランコ・デットーリを背に1着のラスメニーナスに短頭差(着差)で2着に入る。ドバイミレニアムはシェイク・モハメドの本命馬と言われ、2001年に怪我に続く腸管運動性の減退をきたすグラスシックネス疾患で死亡するまで10回出走し9回勝利を収めた。 また、1996年には世界最高額賞金を誇る競走のドバイワールドカップを創設し伝説的な米国のダート競走馬シガーをドバイでレースに出すために引く。今日、27億ドルの高額賞金を誇るドバイミーティングのレースは全てメイダン競馬場で行われる。1999年にはエミレーツ航空をスポンサーとしてワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップを創設(後にエミレーツ航空は撤退、2006年以降休止状態)、世界の名馬がその能力を競う場を提供した。 日本の競馬にも関心を持っており、第3回ジャパンカップにハイホークを出走させて以来、ハートレイク(安田記念優勝)など多くの馬を出走させている。また2003年には日本現地法人ダーレー・ジャパン・レーシングを設立し、法人として地方競馬の馬主免許を取得。船橋競馬場の川島正行厩舎などを拠点として活動していた。英国では、モハメド所有馬がイギリスクラシックレースを幾つか含む多数の重要な競走格付けグループワンレースで優勝している。またアイリッシュダービーステークスとフランスのロンシャン競馬場で開催される凱旋門賞でも優勝しており、米国では、種牡馬バーナーディニが出馬した2006年プリークネスステークスで優勝している。同年のゴドルフィンマイルを優勝した直後のユートピア(2002年全日本2歳優駿、2003年ダービーグランプリ、2004年・2005年マイルチャンピオンシップ南部杯優勝)を400万ドルの移籍金で獲得してゴドルフィンに移籍させている。2008年にバーナーディニは460億ドル以上をウッドランズスタッドエンパイアでもたらしている。 アラビア馬は、その伝説的なスタミナで様々なレースに並外れて上手く適することが証明された。UAEは、シェイク・モハメドをナショナルチームの主将としてこのスポーツを行う。1990年中頃に初めて真剣に競馬に参加し始めているが、UAE の騎手は世界で最上であると見做されている。実際に息子のシャイフ・ラーシドとシャイフ・ハムダーンは、1999年と2000年にそれぞれ世界ランキング競馬の競走格付けの首位を占めている。シャイフ・アメド・ビン・ムハンマドは世界エンデュランス馬術競技で優勝し、最も若い騎手で初のアジア世界チャンピオンとなっている。 ダーレージャパンは関連会社であるダーレー・ジャパン・ファーム有限会社が2007年に中央競馬の馬主免許を取得し、約40億円のトレードで獲得したアドマイヤムーン(2007年ドバイデューティーフリー、宝塚記念優勝)を中央競馬における所有馬第1号とした。しかし、11月1日にダーレージャパングループの代表である高橋力を解任し、11月27日には中央競馬馬主登録を抹消申請した。 2年後の2009年11月25日、JRAはこの年から認められていた日本国外居住者の馬主登録について、ムハンマドが登録したことを発表した。JRAでの馬主登録名は「H.H.シェイク・モハメド」(H.H.はHis Highness=殿下)。また勝負服の柄は「海老、白袖、海老一本輪」。ムハンマドの登録に合わせて、ハヤー妃(登録名:H.R.H.プリンセス・ハヤ)とハムダーン太子(登録名:H.H.シェイク・ハムダン)もJRAに馬主登録したと発表された。2011年には所有馬のデボネアが東京優駿に出走することとなり、観戦のために訪日している。2018年3月から所有馬の名義を「ゴドルフィン」に変更。勝負服も国際的なゴドルフィンのイメージに合わせた「青、袖水色1本輪」へと変更した。 俊敏なエンデュランス馬術競技の優秀な騎手であり、数々の大会で優秀な成績を残しており、63歳の時に2012ワールドエンデュランス競技の160キロコースで優勝した。また自身が大会を主宰する事もある。しかし、所有するサラブレッドとエンデュランス競技の両馬がドラッグテストで失格し、調教師は非難を受諾している。このエンデュランス競技用の厩舎は、致命的な怪我や競技不正参加者を含む多数の別の醜聞に巻き込まれた。 2006年の第15回アジア競馬のエンデュランス競技では、息子のラシッドが個人金を獲得し、またラシッド、アハメド、マジド、ハムダーンの息子たちがエンデュランス競技でチーム金を獲得。姪のラティファは障害飛越競技で銅、娘のマイサーがテコンドーでアラブ首長国連邦チームを率いた。2013年にサッカーアラブ首長国連邦代表がガルフカップで優勝。シェイク・モハメドは、チームに50億ディルハム(137億ドル)を贈呈した。更に妻がチームに、25億ディルハム(6.8億ドル)を贈呈し、一方で二人の夫妻の孫息子が12億ディルハム(3.3億ドル)を貢献した。2014年3月29日に国際競馬の祭典ドバイワールドカップ(英語: Dubai World Cup、アラビア語: كأس دبي العالمي)に参加。傘下のゴドルフィン・レーシング(Godolphin Racing)が所有するアフリカンストーリーが勝利し、シェイク・モハメドがトロフィーを受けとった。 日本での主な所有馬 ミッドサマーフェア(2012年フローラステークス) フリートストリート(2013年エルムステークス) アルキメデス(2013年朝日チャレンジカップ) ディサイファ(2014年エプソムカップ、2015年中日新聞杯、札幌記念、2016年AJCカップ) サマリーズ(2014年クラスターカップ) ティーハーフ(2015年函館スプリントステークス) ファインニードル(2017年セントウルステークス、2018年シルクロードステークス、高松宮記念、セントウルステークス、スプリンターズステークス)
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