宝塚記念優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:55 UTC 版)
天皇賞から1か月後の阪急盃(1800メートル)でリュウフォーレルはトップハンデの62キロを与えられた。次点のミスケイコが7キロ軽い55キロだった。ここでリュウフォーレルは、53キロのゴウカイをつかまえきれず1馬身半差の2着に敗れた。 2週後の鳴尾記念(2400メートル)は62キロのトップハンデで、50キロの逃げ馬イーグルにハナ差捉えて重賞3勝目を挙げた。 6月末の宝塚記念は創設4年目で、有馬記念を範としてファン投票で出走馬を決める重賞だった。ただし、「春のグランプリレース」という通称が付けられていたとはいえ、まだまだ関西地区で開催される重賞競走の一つという扱いに過ぎず、層が厚い関東所属の有力馬は春の天皇賞が終わるとほとんど帰厩したことから、過去行われた3回の開催については関西所属の有力馬同士のみによる争いという印象が強かった。実際に、コレヒサ、ヤマノオーなど、春の天皇賞に出走した関東馬の中で、宝塚記念に出走した馬は一頭もいなかった。 とはいえ、天皇賞には出走しなかった関東馬エムローンが、当時のリーディングジョッキーでもあった加賀武見を鞍上に据えて出走、1番人気となった。エムローンは昨秋の毎日王冠をレコード勝ちし、天皇賞で3着になった馬だが、この年の始動が遅く5月半ばのアルゼンチンジョッキークラブカップで菊花賞馬ヒロキミを下しての西下だった。当時は関東馬というだけで人気になるほど関東馬の質が圧倒していた時代だった。 リュウフォーレルは2番人気での出走だった。レースが始まると、ファン投票上位の4歳牝馬ヒメカップが逃げた。ヒメカップはデビュー以来20戦18勝2着2回のアングロアラブで、このときも9連勝中だった。ゴール前ではエムローンとの激しい競り合いの末、クビ差先着し優勝した。
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