父仔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:52 UTC 版)
サンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービンなど外国から輸入された種牡馬の仔、または外国産馬が盛んに活躍する時期にあって、父メジロライアンの「マル父」父内国産馬メジロブライトの存在は異質であった。「マル父」には、父の面影を重ねて応援する楽しみ方があり、他とは異なる種類の期待が集まっていた。特に父メジロライアンは、皐月賞3着、東京優駿2着、菊花賞3着、有馬記念2着という4歳シーズンを送っており、善戦しながら惜敗してクラシックは無冠。古馬となってから宝塚記念でようやくGIタイトルを奪取するといった戦歴だった。ただし秀一によれば、種牡馬としてのメジロライアンに注目され始めたのは、産駒のメジロドーベルが阪神3歳牝馬ステークスを勝利した、メジロブライト3歳末のことだという。したがってメジロブライトのデビュー時は、あまり話題にもならず、期待もしていなかった。 そしてクラシック戦線に加わったメジロブライトには、父の叶わなかったクラシックタイトル獲得という期待が集まっていた。ところが臨んだ皐月賞4着、東京優駿3着、菊花賞3着。父同様にクラシックは無冠に終わる。惜敗を繰り返したことから、父によく似ているとされた。加えて『優駿』によれば「負け続けてなお人を惹きつけるという不思議な魅力を、これまた息子が引き継いでいる」としている。 メジロ牧場は、天皇賞優勝を強く志向していたが、父メジロライアンは天皇賞(春)にて同門のメジロマックイーンに敵わず4着。メジロライアン自身が牧場の理想に適うことができなかった。しかし仔のメジロブライトが、その天皇賞(春)優勝を果たしている。メジロ勢にとってはこれが1969年秋のメジロタイヨウ、1970年秋のメジロアサマ、1971年春のメジロムサシ、1982年秋のメジロティターン、1991年春92年春のメジロマックイーンに次いで、史上6頭目、7勝目の天皇賞優勝だった。 天皇賞(春)優勝後の宝塚記念では、メジロドーベルとのメジロライアン産駒同士、同門同士の対決が実現したが、いずれもサンデーサイレンス産駒サイレンススズカには敵わず、父仔宝塚記念優勝は成らなかった。その後もGIに参戦し続けたが、主にサンデーサイレンス産駒のスペシャルウィーク、シェリフズスター産駒のセイウンスカイといった輸入された種牡馬の仔、またはグラスワンダーといった外国産馬には敵わず終いだった。 天皇賞(春)を優勝した年のJRA賞では、メジロブライトは最優秀父内国産馬を受賞している。この前年に牝馬二冠を果たしているメジロドーベルが受賞しており、メジロ勢、メジロライアン産駒が2年連続で受賞を果たしていた。
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