宝塚記念から国内ラストランまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:16 UTC 版)
「ステイゴールド」の記事における「宝塚記念から国内ラストランまで」の解説
ドバイから帰国後はステイゴールドにとって17回目のGI挑戦となる宝塚記念に出走することになり、ドバイシーマクラシックで手綱を取った武豊はこの年の活動の拠点をフランスに移していたため、前年の有馬記念以来となる後藤浩輝を鞍上に迎えて出走することに決まった。後藤は半年ぶりとなるステイゴールドへの騎乗を前にした当時の心境を、生前「週刊Gallop」にて連載されていた自身のコラム「GO TO MOVE!」の中において以下のように綴っている。 ステイゴールドに再び乗れる機会が訪れた。しかも、舞台は宝塚記念。相変わらず人気の高い古豪にこれまでコンビを組んだレースに対して僕の中には不完全燃焼という気持ちがあるから、もう一度チャンスをくれたステイゴールドの関係者には本当に感謝している。また、それとともに、これまでにないプレッシャーをすごく感じている。プレッシャーを強く感じる最大の理由は、ステイゴールドの実績が昨年と比べて明らかに変わったからだ — 石田2014、68頁。 ドバイから帰国しての凱旋レースとなった宝塚記念は、後藤が断然人気を集めていたテイエムオペラオーが馬群の中で閉じ込められているのを横目に中断追走から早めに押し上げにかかったが、前でスムーズに流れに乗っていたメイショウドトウも早めに押し上げに加速しており、直線に向いて一頭になったときに集中力が途切れてしまい4着に終わった。 夏場を休養に充て、秋の初戦となった京都大賞典でも鞍上は引き続き後藤が務めた。最後の直線ではテイエムオペラオー、前々年の菊花賞優勝馬ナリタトップロードとの競り合いとなったが、ステイゴールドがナリタトップロードを交わして先頭に立った後、内から抜け出しにかかったステイゴールドは左に斜行し、後藤がムチを持ち替えて懸命に矯正を図ったものの斜行を止められず、直後を走っていたナリタトップロードの進路を防ぐ形で前に入ったときに同馬の前脚とステイゴールドの後ろ脚が交錯し、これでバランスを崩したナリタトップロードの鞍上・渡辺薫彦が落馬した。審議の結果、ステイゴールドは1位入線したものの失格処分となり、半馬身差で2位入線のテイエムオペラオーが繰り上がりでの1着となった。レース後、後藤は検量室に来たテイエムオペラオー馬主の竹園正繼から大声で「こら!おまえ、いったい何を考えて乗っとるんだ!もっと、フェアに乗れ!」と怒鳴りつけられ、後藤は「すみません。そんなつもりで乗っていたわけではないんですけど…」と弁明したものの竹園の怒りは収まらず、「何を言っているんだ!いいか、これで三度目だぞ。どうだ、身に覚えがあるだろう。考えてみろ!」と詰め寄られる一幕があった。なお、ナリタトップロードはこの事故で右前脚に跛行を来たし、続く天皇賞(秋)を回避することになった。 天皇賞(秋)では騎手が武に戻り、テイエムオペラオー、メイショウドトウに次ぐ3番人気に推された。レースではスローペースの中を先行し、最後の直線で抜け出しを図ったが、またしても左側の埒にもたれかかる素振りを見せて前に進もうとせず、武が全く追うことができないまま7着に終わった。道中は好位の内々を進み、絶好の手応えを保ったまま直線に入ったときに武は「勝ったと思った」という。 レース後、武は調教助手の池江泰寿に「なんとかまっすぐ走るように矯正してほしい」と要望し、泰寿は父の泰郎からも指名されて以降ほぼ毎日ステイゴールドの調教に跨るようになった。その後、池江厩舎の調教を手伝っていた上村洋行から「もっと当たりの柔らかい(=制御力の弱い)普通のハミに替えれば、馬は反発しなくなってまっすぐ走ってくれるかもしれない」と提案され、試したところ馬の従順さが増した感触を得た。さらには、上村からの進言を受けて左目だけを覆うブリンカーを装着して次走のジャパンカップに出走させることが決まった。。草食動物の馬には、「見えないところには天敵が隠れているかもしれない」という本能が刷り込まれているため視界を遮られた方向に寄って行こうとはしないものの、勝ち気なステイゴールドに両目を覆う通常タイプのブリンカーを着用すると「前へ」という意識が強くなりすぎ、レースへの折り合いを欠いてしまう恐れが懸念されたため、左目だけを覆うブリンカーを着用させて、左へもたれてしまう開く癖を封じ込めるという狙いがあった。また競走前には、これが国内における最後の出走となることが発表された。 こうして迎えた国内最終戦のジャパンカップでは、レースでは中団を進み、テイエムオペラオーをマークして進んだ。最後の直線では外目を伸びた直線、内が開いている状況でも真っ直ぐ走ったものの、先頭に立つまでには至らず4着に終わった。しかし、4着という結果は4年連続での参戦となったジャパンカップにおいて過去最高の着順であった。メイショウドトウにも初めて先着を果たし、レース後に武豊は「これなら香港、勝てるよ」という言葉を残した。
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