宝塚記念で故障、非業の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:18 UTC 版)
「ライスシャワー」の記事における「宝塚記念で故障、非業の死」の解説
天皇賞の後は疲れが見られたことから、放牧に出ることも考えられていた。しかし宝塚記念のファン投票で1位に選出されたこと、またこの競走が当年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の影響で例年開催の阪神競馬場が閉鎖された為、得意の京都競馬場での開催となっていたこと、そして天皇賞に続いてこのレースもナリタブライアンが出走しないことが決まったことで、出走が決定する。他に近走の重量からは望外の軽量となる56kgで出走できることもあり、さらに種牡馬入りが再度検討された際、やはり中距離競走での実績が必須であると結論付けられた事情もあった。宝塚記念2日後の6月6日には、種牡馬入りへの支援を申し出たJRAの担当者がライスシャワーを見に来る予定となっていた。 当日は3番人気に支持され、レースでは後方を進んだ。的場は最初のコーナーを回った時点で様子がおかしいことを感じ取り「今日は勝つどころじゃない、慎重にまわってこようと」考えたという。第3コーナーでライスシャワーは自らスピードを上げたが、直後に前のめりになり、いったん身体を起こした後に転倒。左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折を発症しており、診療所まで運ぶことができず、その場に幔幕が張られた中で安楽死の措置が執られた。的場は打撲で済んでいたことから、その最期を看取り、亡骸を馬場から運ぶ馬運車に深く礼をしたまま見送ったシーンが映像に残されている。担当厩務員の川島は、手綱を握りしめたまま泣いていたという。
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