バラキレフ:スケルツォ 第1番 ロ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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バラキレフ:スケルツォ 第1番 ロ短調 | Scherzo No.1 h moll | 作曲年: 1856年 出版年: 1860年 初版出版地/出版社: Stellovski, Gutheil |
シューマン, クララ:スケルツォ 第1番 ニ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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シューマン, クララ:スケルツォ 第1番 ニ短調 | Scherzo Nr.1 Op.10 | 作曲年: 1839年 出版年: 1838or1829年 初版出版地/出版社: Breitkopf & Härtel |
作品解説
父親に反抗してパリへ向かう準備をしている頃に書かれた。ヴィルトゥオーゾ的妙技を余す所なく披露するこのスケルツォは、クララの狙い通りに―あるいはそれ以上に―パリのサロンで人気を集めた。クララは、ローベルトに「私のスケルツォは、みんながとても気に入ってくれています。私はいつもそれを繰り返し弾かなくてはなりません。1878年の「ピアノ作品集」には、作品11までの若きクララの作品が含まれていない中、例外的に作品10として含まれていることからも、価値ある作品と思われていたことが分かる。
ショパン:スケルツォ第1番 ロ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ショパン:スケルツォ第1番 ロ短調 | Scherzo h-Moll Op.20 CT197 | 作曲年: ca.1835年 出版年: 1835年 初版出版地/出版社: Breitkopf & Härtel 献呈先: T. Albrecht |
作品解説
ショパンがピアノ曲に用いたスタイルを観察する方法は幾通りもあるが、抒情的なものと物語的なもの、という分類がひとつ可能だろう。前者の代表は《ノクターン》、《マズルカ》であり、後者の典型が《バラード》と《スケルツォ》である。
抒情的な構成において各フレーズや音型は羅列的で、その連結がきわめて緩やかであるのに対し、物語的な構成では、1曲の中にいわば起承転結を感じることができる。なぜ明確なドラマ性が生じるかといえば、まず、和声の進行が明解で、とりわけドミナント-トニック(転から結へ進む部分)の定型がよく守られるからである。また、各動機は変奏や転回、反復、拡張などの手法を用いて発展することもあり、ヴィーン古典派のソナタのような労作はなされなくとも、複数の主題が複雑に組み合わされて曲が作られている。
つまり、《バラード》、《スケルツォ》、《舟歌》、《ボレロ》など物語的構成を持つ作品では、ダイナミックでドラマティックな、始まりから終わりへ必然をもって突き進むような音楽的時間が生み出されるのであり、こうした要素が鑑賞上のポイントとなっている。(蛇足ながら、抒情的な作品では、わずかずつ変容しながらも留まり続け、戻りも進みもそれほど明確でない、いわば音楽的空間の中に、鑑賞者の耳を遊ばせることになる。)
さて、では、各4曲が残されている《バラード》および《スケルツォ》の違いはどこにあるのか。
これらがジャンルとしてショパンの創作の中で隣接していることは、音楽を見れば何より明らかである。しかも、両ジャンルを形式から明確に区別することはほとんどできないように思われる。ひとつには、これがショパンに固有のジャンルであるからで、それぞれが由来すると思われるジャンルの伝統を調べても、両者を結びつけるものは出てこない。しかし、音楽の外形からは区別できなくとも、それぞれの音楽内容、いわば物語の内容はやや異なっている。
《スケルツォ》はイタリア語で「冗談」を意味し、従来は簡明な形式で明るく軽く小規模な曲を指した。ベートーヴェンがメヌエットに代えてソナタの第3楽章に取り入れた時も、やはり極めて急速でユーモアに富んだ性格が与えられた。ショパンの《スケルツォ》は、一見するとこうした伝統にまったく反し、暗く深刻なうえに大規模である。だが、《バラード》と比べてみると、《スケルツォ》がいかにユーモアを内包しているかがよく判る。4つの《スケルツォ》にはいずれも、きわめて急速でレッジェーロな動機がひとつならず登場し、随所で「合いの手」を入れている。また、各部で激烈なまでの音量のコントラストが指定されている。
こうした手法が《バラード》にはほとんどない。各動機、各音は前後のしがらみに囚われており、逸脱を許されない。沈鬱な主題が次々と現われ、それらは鬱積して怒濤をなし、ついには破滅的な終末を迎える。《スケルツォ》が軽妙な音型や滑稽なまでのコントラストでこの種のストレスを解消するのとは、対照的である。
なお、《バラード》4曲はすべて複合2拍子、《スケルツォ》は3拍子で書かれており、これが唯一の外形的な特徴といえなくもない。が、《スケルツォ》は全篇を通じてほとんどが2小節で1楽句を作るため、やはり2拍子の強烈な推進力を内包している。
《スケルツォ》はいずれもA-B-Aの形式をとる。これはハイドンやベートーヴェンが用いたメヌエット楽章の代替としてのスケルツォを踏襲している。しかし、A部分には2つの対照的な主題が現わること、A部分の後半は前半部分のほぼ完全な反復となっていることから、ソナタ形式を志向することが見て取れる。さらに、ストレッタを含む華々しいコーダが曲の規模をさらに増し、格調を高めている。
このようにみると、ショパンの《スケルツォ》は、ベートーヴェンが完成させたピアノ・ソナタの第3楽章の格式を継ぎ、これを敷衍したものと考えることもできる。一方、自身の《ピアノ・ソナタ》第2番および第3番においてはヴィーン古典派の伝統から一歩を踏み出し、スケルツォを第2楽章に置いた。特に第2番Op.35では、複数主題を持つ規模の大きなスケルツォが用いられている。ショパンはおそらく、キャラクターピースとして《スケルツォ》を書き、そのように命名したのではない。むしろ、彼自身のソナタへの布石だったのである。
第1番はヴィーン時代のごく初期に書かれた作品のひとつである。
ショパンは1829年に学生仲間とともにひと夏をウィーンに過ごし、自作を演奏して喝采を浴びた。帰国してからは、彼の個性的な作品にいまひとつ反応の鈍いワルシャワよりも、帝都ヴィーンでの本格的成功を夢見るようになり、2曲の《ピアノ協奏曲》ほか大規模な作品の準備に取りかかった。ドイツの政治情勢のため出発は何度か延期され、1830年11月にようやく国境を越えることになった。しかしこの数週間後にワルシャワで武装蜂起が起こった。同道した親友ティトゥスは闘いに加わるため帰国したが、ショパンは両親とティトゥスの説得に応じて、芸術家としての使命を全うすべくヴィーンへ向かった。
しかし、カトリックの牙城であるヴィーンに居ながらクリスマスを一人で過ごす寂しさと、祖国の情勢不安は、ショパンを格別の郷愁へと駆り立てた。この《スケルツォ》中間部に現われるポーランドのクリスマス・キャロル〈眠れ、幼子イエス〉は、まさにその表れである。
ここで旋律を担うオクターヴ跳躍の音型は、実はA部分の第2主題末部、右手高音に予示されている。とはいえ、A部分とB部分の関連は、ソナタ形式の「展開部」ほどには明確でない。むしろ、調、テンポ、雰囲気、何もかもが対照的で、互いに引き立てあう。
なお、この作品について、ショパンの熱狂的な支持者であったシューマンは、「《冗談》が黒いヴェールを被って歩き回るなら、《真摯》はどのように装えばよいのか」と、タイトルに対する困惑を表明している。
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