本格的成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:18 UTC 版)
1965年、フィル・スペクターがアイク&ティナ・ターナーの公演をロサンゼルスで観て、ティナと一緒に仕事がしたいと考えた。話がまとまり、スペクターはアイクに前金として2万ドルを支払った。アイクが了承したスタジオでティナと一緒に作業するためである。ティナは、スペクターのプロデュースのもと、「リヴァー・ディープ-マウンテン・ハイ」を吹き込んだ。この曲は1966年にスペクターのフィルズ・レーベルから発表された。アメリカ国内ではまあまあの手応えだったが、海外では成功し、特にイギリスで好評を博し、結果的にシングルチャートで第3位まで上った。この曲の成功により、アイク&ティナ・ターナーは1966年秋のローリング・ストーンズのイギリス国内ツアーで前座を務めることになった。そして、これが契機となって、ヨーロッパ全域とオーストラリアでも演奏することになったのである。1968年にはブルー・サム・レコーズと契約し、アイク&ティナ・ターナーは強いブルース志向を感じさせるアルバムを2枚発表する。「アウタ・シーズン」と「ザ・ハンター」である。「アウタ・シーズン」ではオーティス・レディングの「アイヴ・ビーン・ラヴィング・ユー・トゥー・ロング」のカヴァーを録音している。一方、「ザ・ハンター」が発表されると、ティナの歌ったタイトル曲-もともとアルバート・キングによって吹き込まれたものだが-がグラミー賞のベスト女性R&Bヴォーカル賞にノミネートされた。この2枚のアルバムが好成績を残し、デュオはラスベガスで自分達の公演を行うことになった。このラスベガスのショーには、様々な有名人達が彼らのことを観に来たのである。その中には、デヴィッド・ボウイ、スライ・ストーン、ジャニス・ジョプリン、シェール、ジェイムズ・ブラウン、レイ・チャールズ、エルトン・ジョン、エルヴィス・プレスリーといった人達がいた。 1969年、デュオはローリング・ストーンズのアメリカ・ツアーで前座を務め、ますますその名を高めた。1970年、エド・サリヴァン・ショーに出演。ツアーは成功し、リバティ・レコードで録音を行うことになる。アルバムは2枚制作され、「カム・トゥゲザー」が1970年に、「ワーキン・トゥゲザー」が1971年に、それぞれ発表された。「カム・トゥゲザー」からは、このデュオの初めてのトップ40シングルが生まれた。それはスライ&ザ・ファミリー・ストーンのカヴァーである「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイアー」だった。「カム・トゥゲザー」は、このデュオが自分達のレパートリーをR&B中心の曲からよりロックよりの曲を採り入れる方向に切り替えたという意味で、彼らの転機となったアルバムだった。1971年の初めにデュオはクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「プラウド・メアリー」をカヴァーして発表したところ、この曲が過去最高のヒットとなった。ビルボード新曲100のチャートで第4位まで上がり、同時に100万枚を越える売り上げを記録し、そしてデュオもしくはグループ部門で、グラミー賞のベストR&Bパフォーマンス賞を獲得したのである。後に、1971年になって、彼らのライヴ・アルバム「ホワット・ユー・ヒア・イズ・ホワット・ユー・ゲット」がカーネギー・ホールでの演奏の録音を使用して制作されたが、これが彼らの初のゴールド・ディスクとなった。1972年、アイク・ターナーはスタジオを建設し、ボリック・サウンズと名付けた。このスタジオは彼らのイングルウッドの自宅近くに造られたものだった。リバティ・レコードがユナイテッド・アーティスツ・レコードに買収された後、デュオはユナイテッドと契約し、3年間に10枚のアルバムを制作することが決まった。このデュオの最後のヒット・シングル、「ナットブッシュ・シティ・リミッツ」は1973年に発売され、ビルボード新曲100のチャートで第22位まで上昇している。特にイギリスでは、最高第4位まで上がっている。1974年、ティナは初めてのソロ・アルバム「ティナ・ターンズ・ザ・カントリー・オン」を発表し、グラミー賞にノミネートされた。 この年、ティナは、ロック・ミュージカル「トミー」の撮影に参加するためロンドンまで出向いている。この映画の中で、彼女はアシッド・クイーンを演じ、また同名の曲を歌っている。ティナの歌は、評論家から賞賛されるところとなった。映画の撮影が終わってほどなくして、ティナはアン・マーガレットと共に、ロンドンで、テレビの彼女の特集番組に出演している。アメリカに戻り、ティナはデュオでの活動を再開する。「トミー」が公開されてまもなく後、1975年に、ティナは次のソロアルバム「アシッド・クイーン」を発表したのである。
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