本格製造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 05:23 UTC 版)
「高校生のコメロンパン」の記事における「本格製造」の解説
販売開始から4か月後の2008年11月には、高校生グループは生産と流通と人材の欠如を認識した。泗水(しすい)の空き店舗での製造を阿蘇デリシャス社と古木屋に打診し、4か月に渡る「工場設立プロジェクト」が行われる。そして、2009年4月から岡山県の百貨店天満屋を始め日本各地の百貨店などに販路が拡大されることが決まると、それに合わせて両社が増産を決定する。高校生らが開発したコメロンパンのレシピを両社に提供する代わりに、菊池市泗水町に工房(泗水(しすい)工場)が3月29日に開設したのである。この工場は年間20万個の生産ができるため、約9トンの米消費となると高校生らは公表している。また、地方経済誌は、新しい工房の生産量はそれまでの2倍に拡大され、年間生産量40万個となったと伝えた。さらに、2009年の『読売新聞』は「当初は月約6,000個だった販売数が、今は2万個近い」と報じている。2010年の『フード・アクション・ニッポン』は、スーパーの空き店舗を利用した米粉パン専用工場は、年間30万個の生産を可能にしていると公表している。また同時に、高校生らの原価計算では、新工場で20万個を生産すると、利益率が15%向上し、47%になるとも試算している。 「高校生のコメロンパン」は日本各地に販路が拡大していき、また、高校生らも参加しての百貨店での物産展などもあった。2010年の『熊本日日新聞』は、「高校生のコメロンパン」が大丸や伊勢丹などにも販路が拡大し、約1年半で27万個を出荷する「大ヒット」と書き、使った米粉は計12トンにのぼったと、報じている。 地域雑誌社のインタビューで、カドリー・ドミニオンの小笠原徹朗社長は、高校生らについてこう語った。 私たちはすぐ計算づくで物事を考えるけど、彼ら生徒たちは底なしに計算しないから可能性がものすごく広いんだ。(中略)何か1つでいいから、誇れるものを持てるように学校や企業がそのきっかけを与えるべきなんです。阿蘇デリシャスのコメロンパンもそういったきっかけの1つになったのではないでしょうか。 — 社長のものがたり。 小笠原 徹朗 『muchcolor』より
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