化兵爆弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/02 06:21 UTC 版)
「大日本帝国海軍航空爆弾一覧」の記事における「化兵爆弾」の解説
化学兵器を使用した爆弾である。日本海軍では砲弾による実射試験と防毒試験が行われた。四〇糎九一式徹甲弾にも着脱式特薬缶の装填スペースが考慮されている。爆弾としては第一次上海事変後に本格製造が開始された。ルイサイトは1936年(昭和11年)に量産化に成功したものの後に使用が廃止された。そのほかイペリット、催涙ガス、くしゃみ剤、青酸ガス等が整備された。1938年(昭和13年)3月『空威研究会報告』にて一号爆弾が策定された。 三番一号爆弾 - 1938年(昭和13年)の書類中に記載。当初は通常爆弾として対艦艇用を企図していた。その後、目的は飛行場攻撃用へ移行した。1943年(昭和18年)8月の書類ではラバウル基地に26発配備と記載された。 六番一号爆弾 - 1935年(昭和10年)頃に研究開始、1936年(昭和11年)に制式化された。全重68.3kg、炸薬に下瀬火薬または九八式爆薬2.3kgを使用。薬剤として致死性と糜爛効果のある「T剤」を23.6kg充填した。他の資料では三号特薬甲(イペリット)を17.1kg充填した。1943年(昭和18年)8月の書類では百数十発がラバウル基地に配備されていた。有効半径は10m。10万発生産予定され、実際には43,000発が生産された。うち組立に至ったのは1944年(昭和19年)に4,200発、1945年(昭和20年)に600発である。 一式六番一号爆弾 - 非致死性の薬剤を充填した制圧用爆弾。全重63.2kg。炸薬5.9kg。充填薬剤はくしゃみ効果を発揮する二号特薬(ジフェニル青化ヒ素)6.7kgである。コンクリート200mmを貫通する能力があった。2,000発製造するも組立は行われなかった。 四式六番一号爆弾 - 全重55.5kg、炸薬2.3kg、三号特薬を22kg充填。
※この「化兵爆弾」の解説は、「大日本帝国海軍航空爆弾一覧」の解説の一部です。
「化兵爆弾」を含む「大日本帝国海軍航空爆弾一覧」の記事については、「大日本帝国海軍航空爆弾一覧」の概要を参照ください。
- 化兵爆弾のページへのリンク