本格的に落語家へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 16:36 UTC 版)
「桂米朝 (3代目)」の記事における「本格的に落語家へ」の解説
矢倉が3代目桂米之助となったことが縁で、後に師匠となる4代目桂米團治に教えを請う機会が生じた。この時に「高津の富」を教わる。 やがて、師・正岡の「いまや伝統ある上方落語は消滅の危機にある。復興に貴公の生命をかけろ」との言葉を受け、本格的に落語家を志すようになり、1947年9月に会社勤めをしながら米團治に入門。3代目桂米朝を名乗る。一旦勤めを辞めて米團治宅の内弟子となるものの親戚から叱責を受け、姫路市内の広畑郵便局員として1年ほど勤務した。その後、師・米團治の死に遭い、落語のみに精進する事を決意する。
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