本格的な発掘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 16:22 UTC 版)
考古学者の佐原真をはじめとして、県や市民団体による啓発活動が高まりを見せ、1989年(平成元年)2月23日、一部の報道機関によって大々的な報道が始まる。ちなみに、この前日の2月22日が「吉野ヶ里遺跡で大規模な環濠集落が発見された日」とされている。これにより連日全国から大勢の見学者が訪れるようになり、同年3月には県は遺跡と重複する地域の開発を中止する。 その後1990年(平成2年)5月に史跡、1991年(平成3年)4月に特別史跡に指定され、1992年(平成4年)には閣議によって国営歴史公園の整備が決定する。 報道がなされた当初は邪馬台国に関係する遺跡ではないかとも見方もあり、一部で九州王朝説も取り上げられた。現在は、九州北部にあった複数の「クニ」の1つに過ぎないのではないかという見方もされている。 なお、2006年(平成18年)4月6日に日本100名城(88番)に選定されている。
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