本格的な作家活動
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以後、作家活動に専念することになる。1956年9月に日本文芸家協会会員。 1955年から『張込み』で推理小説を書き始め、1957年短編集『顔』が第10回日本探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)を受賞。同年から雑誌『旅』に『点と線』を連載する。翌年刊行され、『眼の壁』とともにベストセラーとなった。「清張以前」「清張以後」という言葉も出て、「清張ブーム」が起こった。『放送朝日』1957年8月号特集「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」に寄せた評論で、テレビ番組に対する大宅壮一の発言「一億白痴化運動」に“総”の一字を挿入、「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」(一億総白痴化)と述べた。これは流行語となった。 その後も執筆量は衰えず、『ゼロの焦点』『かげろう絵図』『黒い画集』『歪んだ複写』などを上梓。執筆量の限界に挑んだ。清張の多作は同時代の作家にとっても驚きであり、種々の憶測も呼んだ。作家の平林たい子は韓国の雑誌『思想界』1962年8月号に「朝から晩まで書いているんですけど、何人かの秘書を使って資料を集めてこさせて、その資料で書くだけですからね。松本と言えば人間ではなく「タイプライター」です」と発言した。これに対し清張は「事務処理をする手伝いの人が一人いるのみで、事実に反する」と反論している。しかしのち、書痙となり、以後口述筆記をさせ、それに加筆するという形になった。
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