本格的な考古学調査の時代の到来
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「グレート・ジンバブエ遺跡」の記事における「本格的な考古学調査の時代の到来」の解説
20世紀に入り、ようやく正確な考古学調査が始まった。1905年、イギリス科学振興協会はエジプト考古学で業績のあったデイヴィッド・ランダル・マッキーヴァー (Randall-MacIver,D) に調査を依頼した。マッキーヴァーは現地でグレート・ジンバブエのほかカミ遺跡、ドーロ=ドーロ遺跡、ナレタレ遺跡など6カ所の遺跡を調査した。彼はホールが放置して廃棄した土器をはじめとする生活用具関連の出土品を一級の資料とし、現地の地層構造との関係を検証した。そして、発見された土器片が現在のショナ人が使用しているものとほぼ同じであって、石造建築物に何らアラビア風の影響は認められないと論じ、遺跡はショナ人など現地住民が築いたものだと主張した。 また、発見時の遺物の層位学的な位置関係に注目するとともに、アラブやペルシャ製ビーズ、中国産陶磁器などの搬入品はソロモン時代の紀元前どころか、早くても11世紀をさかのぼることはなく、これらの遺跡は15世紀ごろのものであると論じた。ホールはさっそく反論を書いて決着がつかないかに思われた。 1929年に再びイギリス科学振興協会の要請に応じて、女性考古学者のガートルード・ケイトン=トンプソン (Caton-Thompson,G.) が発掘調査をすべく現地に赴いた。彼女は、「谷の遺跡」とモーンド廃墟について緻密なトレンチ調査を行い、層位学的研究法の見地から最下層までの層位と遺物を対応させた実測図とデータを提示して、後の研究者がデータを検証できるような報告書を作成するように努めた。そして彼女は自らの調査成果からマッキーヴァー説を強く支持する調査結果を発表した。彼女の調査法はフィールド調査の手本とされ、ガーレイクはその調査法を「広域的発掘調査の最初にして唯一の調査」と賞賛し、今日でも高く評価されている。 その後、ケイトン=トンプソンは各地で講演を行ったが、プレトリアで行った講演で遺跡の建築者は紛れもなく現地のアフリカ人であること、彼らが成熟した文明の担い手であって高度な国家的組織と優れた独創性と高い技術を持っていたことを論じ、南部アフリカの学界を挙げて取り組むにふさわしいテーマだと訴えると、アウストラロピテクスの発見者として知られるレイモンド・ダートは激怒して演壇と司会者に向かって怒鳴りつけ、会場から足を踏み鳴らして出ていったという逸話がある。このようにグレート・ジンバブエ=アフリカ人建設説は、当時のアフリカ南部の白人社会においては受け入れがたいものであった。 1958年、ローデシア政府のもとでロジャー=サマーズはグレートエンクロージャーの再発掘調査、キース・ロビンソンは出土陶磁器の編年、A.ウィッテイが建築学的な発展過程についての調査を行った。この3者によって包括的、基礎的なデータの収集が行われた。また、D.P.アブラハムによるポルトガル人の残した文献、口伝、考古遺跡の発掘調査の検討による研究が世界的に注目された。後述するように彼の研究は、日本国内におけるように未だ誤解を残している面があるが、当時としては優れた学際な研究とみなされた。 1961年ジンバブエ・アフリカ人民同盟 (ZAPU) が結成され、グレート・ジンバブエこそアフリカ人の新国家の誇るべきシンボルであると主張した。このためローデシア政府と白人保守派は、グレート・ジンバブエ=アフリカ人建設説はアフリカ原住民のナショナリズムを鼓舞しかねないと恐れ、未だに「謎に包まれているという」公式見解を発表した。1965年にはグレート・ジンバブエに関する文献を検閲することで、アフリカ人にとって有利であり、白人のみが優等人種であるという考え方にとって都合の悪い事実を隠そうと試みた。 1970年代に入るとトーマス・ハフマンとガーレイクによる発掘調査が行われた。ハフマンは庶民の居住区1200m2の調査を行った。これまで石造建築物中心だった調査の目標を石造物以外の庶民の生活にスポットをあてようとするものだった。しかし、ローデシア政府はこれらの研究者を冷遇し、ガーライクなどの研究者はアフリカ人にとって有利で白人のみが優等人種であるという考え方にとって都合の悪い事実を調査している、との判断基準から国外退去せざるを得なかった。1980年のロバート・ムガベによる黒人多数政権ができてから「公式見解」が取り消され、学術的な成果を還元できるようになった。
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