本格的旅客用索道の登場とは? わかりやすく解説

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本格的旅客用索道の登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:45 UTC 版)

日本の索道」の記事における「本格的旅客用索道の登場」の解説

1915年大正4年)に安全索道商会(現・安全索道)が設立された。同社1921年大正10年)、奈良市内試験用索道建設し旅客用索道研究開始した1927年昭和2年)には紀伊自動車三重県矢ノ川峠旅客用索道開業させた。安全索道商会受注した矢ノ川峠尾鷲町(現・尾鷲市)と木本町(現・熊野市)を結ぶ道路途中にある峠で、当時バスでは登坂不可であったため索道けられたのである全長1,254 m、高度差382 mで、1本の索条定員2名の搬器25吊り下げる単線循環式であった。これを日本初旅客用索道とみなす資料もある。この索道は約10年間にわたり運行した道路改修され1936年10月省営自動車紀南線(尾鷲-上木本間)の営業開始 により休止撤去されている。 1928年昭和3年)には福岡市愛宕山愛宕索道開業した愛宕索道では支索1本・曳索2本を用いる3線交走式初め採用した同年には仙台市開催され東北産業博覧会でもロープウェイ運行された(博覧会終了とともに撤去)ほか、京都市比叡山にも京都電燈運営する比叡山空中ケーブル開業した1929年昭和4年)には奈良県吉野山吉野大峯ケーブル自動車運営する吉野ロープウェイ開業し続いて1931年昭和6年)に神戸市六甲山六甲登山架空索道)に、1932年昭和7年)には三重県二見浦二見浦旅客索道)に、1933年昭和8年)には栃木県日光日光登山鉄道)に開業した1939年昭和14年)に埼玉県三峰山開業した秩父鉄道三峰ロープウェイ延長1,768 m、高度差615 mに及ぶ当時としては日本国内最大規模索道であった。しかしロープウェイのほとんどが観光参拝目的したものであったため、1941年昭和16年)に勃発した太平洋戦争戦局悪化により、生活路線でもあった吉野ロープウェイ三峰ロープウェイを除く5路線ケーブルカー同様に不要不急施設とされ終戦前に廃止された。

※この「本格的旅客用索道の登場」の解説は、「日本の索道」の解説の一部です。
「本格的旅客用索道の登場」を含む「日本の索道」の記事については、「日本の索道」の概要を参照ください。

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