「谷の遺跡」とは? わかりやすく解説

「谷の遺跡」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 23:39 UTC 版)

グレート・ジンバブエ遺跡」の記事における「「谷の遺跡」」の解説

「谷の遺跡」は、「アクロポリス」南方400500mどの位置に広がりジンバブエの王ないし首長の妻たちと子どもたち住居であった考えられている。最も大きな遺構は、直径10mを超える円形の壁をもつ大きな住居であり、草葺きであった考えられている。「王妃」ないし首長第一夫人住居考えると、彼女が多くの妻たちの筆頭として「日常家事行為」をきりもりするために他の夫人たちその子どもたちの住居想定されるエンクロージャーにつながる通路八方にのびていたことが理解できる一方出土品には、中国製陶磁器皿、西アジア産のガラス製品大量ガラスビーズ銅製指輪重さキロにも及ぶ銅線鉄製ゴング3点及び足輪、鍬、斧、スプーン燭台ペルシャ容器2点、金ビーズ象牙子安貝などの貝類儀礼青銅槍先2点発見されたことから倉庫として機能をもっていた施設ではないかとも考えられるいずれにせよ、これらの首長の妻たちと子どもたちの住むエンクロージャーには、各々の妻たちの実家トーテム思われる石柱ないし石柱立てられた痕が「家」の入り口残されていた。そのなかにはアクロポリスの「東エンクロージャー」で発見されたものと酷似する石彫頂部に付けワニの姿を刻んだ滑石石柱1点発見されている。現在のジンバブエ共和国国旗デザイン描かれた「彫像イメージは、この遺物から採られている。

※この「「谷の遺跡」」の解説は、「グレート・ジンバブエ遺跡」の解説の一部です。
「「谷の遺跡」」を含む「グレート・ジンバブエ遺跡」の記事については、「グレート・ジンバブエ遺跡」の概要を参照ください。

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