上の台廃寺とは? わかりやすく解説

上の台廃寺(伝薬師堂)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 00:02 UTC 版)

相模国分寺」の記事における「上の台廃寺(伝薬師堂)」の解説

上の台廃寺は、国分寺跡の南東150メートル現在の相模国分寺の裏手にあたる丘陵地にあった寺院跡。近年の開発などで本格的な発掘調査が行われることなく失われてしまった遺跡であるが、わずかに瓦などの遺物残されている。 1963年わずかに行われた調査などから、相模国分寺塔跡同じよう礎石跡があったことがわかっており、かなりの規模寺院があったのではないか推定されている。そのため上の台廃寺は、878年地震とそれに伴う火災後相模国分寺再建されたものとの説もある。 上の台廃寺のあった場所には、かつて薬師堂呼ばれる建物があったと言われている。薬師堂戦火災害によって失われることなく古代のままの建物残っていたと伝えられており、多く貴重な寺宝例え聖武天皇宸筆との伝承のあった「金光明四天王護国之寺と書かれた額が遺されていたといわれている。薬師堂はやがて現在の国分寺がある場所に移築され現在の国分寺の基となったとされるが、1910年火災によって焼失した

※この「上の台廃寺(伝薬師堂)」の解説は、「相模国分寺」の解説の一部です。
「上の台廃寺(伝薬師堂)」を含む「相模国分寺」の記事については、「相模国分寺」の概要を参照ください。

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