上の台廃寺(伝薬師堂)
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「相模国分寺」の記事における「上の台廃寺(伝薬師堂)」の解説
上の台廃寺は、国分寺跡の南東約150メートル、現在の相模国分寺の裏手にあたる丘陵地にあった寺院跡。近年の開発などで本格的な発掘調査が行われることなく失われてしまった遺跡であるが、わずかに瓦などの遺物が残されている。 1963年にわずかに行われた調査などから、相模国分寺の塔跡と同じような礎石跡があったことがわかっており、かなりの規模の寺院があったのではないかと推定されている。そのため上の台廃寺は、878年の地震とそれに伴う火災後、相模国分寺が再建されたものとの説もある。 上の台廃寺のあった場所には、かつて薬師堂と呼ばれる建物があったと言われている。薬師堂は戦火や災害によって失われることなく古代のままの建物が残っていたと伝えられており、多くの貴重な寺宝、例えば聖武天皇の宸筆との伝承のあった「金光明四天王護国之寺」と書かれた額が遺されていたといわれている。薬師堂はやがて現在の国分寺がある場所に移築され、現在の国分寺の基となったとされるが、1910年の火災によって焼失した。
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