上の原工区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:01 UTC 版)
上の原工区は本坑2,250メートルとそこに取り付く横坑583.6メートルからなり、飛島建設に対して発注された。1972年(昭和47年)11月から横坑に着手したが、多量の湧水に苦しみ、坑口から263メートルの地点では破砕帯に遭遇して、ここを突破するのに1か月を要した。1973年(昭和48年)7月に本坑に到達した。 本坑では底設導坑先進工法(最初にトンネル底面に先進導坑を掘削し、その後全断面に切り広げる工法)で施工を進めた。大宮側は途中から砂礫層となり、破砕帯に遭遇して異常出水に見舞われたこともあり、途中でサイロット工法に切り替えた。新潟側でも途中で破砕帯に遭遇して多量の湧水に見舞われ、これは地表に渇水被害をもたらした。 新潟側は底設導坑が1974年(昭和49年)8月末に工区境界に達し、上半への切り広げは1975年(昭和50年)2月末に完了し、アーチコンクリートの巻き立ても3月に完了した。大宮側は側面導坑の掘削が1975年(昭和50年)10月から12月にかけて工区境界に達し、上半掘削とアーチコンクリートの巻き立ては1976年(昭和51年)6月に完了した。インバート、通路コンクリートおよび路盤鉄筋コンクリートまで完了したのは1977年(昭和52年)2月である。
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