双六古墳とは? わかりやすく解説

双六古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/23 13:04 UTC 版)

双六古墳
墳丘(左に前方部、右奥に後円部)
所属 壱岐古墳群
所在地 長崎県壱岐市勝本町立石東触81
位置 北緯33度47分54.30秒 東経129度42分13.35秒 / 北緯33.7984167度 東経129.7037083度 / 33.7984167; 129.7037083座標: 北緯33度47分54.30秒 東経129度42分13.35秒 / 北緯33.7984167度 東経129.7037083度 / 33.7984167; 129.7037083
形状 前方後円墳
規模 墳丘長91m
高さ10.6m
埋葬施設 横穴式石室(2室)
出土品 金製品・銀製品・金銅製品ほか副葬品多数
築造時期 6世紀後半
史跡 国の史跡「壱岐古墳群」に包含
有形文化財 出土品(国の重要文化財
特記事項 長崎県第1位の規模
地図
双六古墳
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双六古墳(そうろくこふん)は、長崎県壱岐市勝本町立石東触にある古墳。形状は前方後円墳壱岐古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。出土品は国の重要文化財に指定されている。

壱岐島、ひいては長崎県最大の規模の古墳で[1]6世紀後半(古墳時代後期)頃の築造と推定される[2]

概要

壱岐島中央部の丘陵上に築造された古墳である。1981年(昭和56年)に松永泰彦による石室測量が、1992年(平成4年)に長崎県教育委員会による墳丘・石室の実測調査が、1997年-2000年(平成9-12年)に旧勝本町による本格的な発掘調査がなされている[3]

墳丘

墳丘は前方後円形で、2段築成である[3]。規模は次の通り[3]

  • 墳丘長:91メートル
  • 後円部:直径43メートル、高さ10.6メートル
  • くびれ部:幅24メートル
  • 前方部:長さ55メートル、幅36メートル、高さ5メートル

対馬塚古墳同様、墳丘の前方部は後円部に比して長く、後円部はお椀を伏せたような急斜面をなす特徴を有している[3][2]

埋葬施設

埋葬施設は複室構造の横穴式石室で、玄室・前室の2室と羨道で構成され、南西方に開口する[3]。江戸時代にはすでに石室は開口し、『甲子夜話』『壱岐名勝図誌』に記述がある[4]。石室の規模は次の通り[3]

  • 石室全長:11メートル[2]
  • 玄室:長さ3.5メートル、幅2.58メートル、高さ4.28メートル
  • 前室:長さ6.28メートル、幅1.8メートル、高さ1.68メートル
  • 羨道:長さ1.28メートル、幅1.28メートル、高さ1.7メートル

玄室には朱塗痕があるほか、玄室床面には全面に凝灰岩製の敷石が敷かれたと見られる[3]。また、石室壁に船形の線刻画も見られる。

出土品

出土品としては、玄室からは須恵器・土師器・鉄製品・ガラス玉・二彩片・金糸などが、前室からは金銅製圭頭大刀把頭・把元・八窓鐔・雲珠・杏葉・金銅製冠・須恵器・土師器・ガラス玉などが、羨道からは金銅製鈴・鉄鏃・銀象嵌鐔・馬具・土師器・短刀などが、開口部からは新羅土器が見つかっている[3]。これらのうち、馬具装飾には高い技術水準が指摘されるほか、大陸産・新羅産の遺物は当時の海外交渉を伝えるものとして重要視される[5]。これらの遺物は「長崎県双六古墳出土品」として国の重要文化財に指定されている[5]

文化財

重要文化財(国指定)

  • 長崎県双六古墳出土品(考古資料) - 明細は以下。2008年(平成20年)7月10日指定[5][6]
    • 金製品 8点
    • 銀製品 54点
    • 金銅製品 58点
    • 青銅製品 14点
    • 鉄製品 102点
    • ガラス製品 93点
    • 石製品 10点
    • 琥珀玉 1点
    • 陶器・土器 72点

関連施設

脚注

  1. ^ 双六古墳(壱岐市観光連盟「壱岐観光ナビ」)。
  2. ^ a b c 双六古墳(長崎県教育庁学芸文化課「長崎県の遺跡大辞典」)。
  3. ^ a b c d e f g h 双六古墳(続古墳) 2002.
  4. ^ 笹塚古墳(続古墳) 2002.
  5. ^ a b c 長崎県双六古墳出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  6. ^ 長崎県双六古墳出土品(長崎県ホームページ)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

外部リンク


双六古墳

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壱岐古墳群」の記事における「双六古墳」の解説

双六古墳(そうろくこふん)は、壱岐市勝本町立石東触にある古墳形状前方後円墳壱岐島ひいては長崎県最大規模古墳である。6世紀後半頃の築造推定される1981年昭和56年)に松永泰彦による石室測量が、1992年平成4年)に長崎県教育委員会による墳丘石室実測調査が、1997年-2000年平成9-12年)に旧勝本町による本格的な発掘調査なされている。

※この「双六古墳」の解説は、「壱岐古墳群」の解説の一部です。
「双六古墳」を含む「壱岐古墳群」の記事については、「壱岐古墳群」の概要を参照ください。

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