ひゃく【×柏】
読み方:ひゃく
⇒はく
ひゃく【百】
ひゃく【百】
ひゃく【百】
百
『仮名手本忠臣蔵』10段目「天河屋」 お園は夫天河屋義平から離縁され、さらに賊に髪を切られて尼姿にされる。髪がもとどおりに伸び、義平とふたたび夫婦になれるまでには、百日待たねばならない→〔髪〕2a。
『三国遺事』巻1「紀異」第1・古朝鮮〔王儉朝鮮〕 熊と虎が「人間になりたい」と、天帝の子桓雄(ファンウン)に祈った。桓雄が艾(よもぎ)一握りと蒜(にんにく)20個を与え、「これを食べて、百日間、日光を見ないでいれば人間になれる」と教える。熊は言われたとおり物忌みして、21日目に人間の女になった。虎は物忌みができず、人間になれなかった。
『長谷雄草子』(御伽草子) 中納言長谷雄は鬼と双六をして勝ち、美女を得る。鬼は長谷雄に「百日過ぎてから、うちとけ給え」と告げるが、長谷雄は待ちきれず、80日あまりたった時、女を抱く。たちまち女は水となって、流れ失せた〔*百日待てば→〔絵〕2aの『太平広記』のごとく、女は生身の人間となるはずだった〕。
*→〔入れ子構造〕2の『女体消滅』(澁澤龍彦『唐草物語』)は、『長谷雄草子』にもとづく作品。
★2a.百年待つ。
『夢十夜』(夏目漱石)第1夜 女が「もう死にます。また逢いに来ますから、私の墓の傍に坐って百年待っていて下さい」と言う。「自分」は苔の上に坐り、日が昇り沈むのを「1つ、2つ」と数えて、待ち続ける。長い年月がたって、「だまされたのではなかろうか」と思い始めた時、墓石の下から青い茎が伸び、白百合の花が咲く。「自分」は花弁に接吻し、百年たったことに気づく。
*女が百合の花に変身する→〔花〕2bの『百合』(川端康成)。
『眠れる森の美女』(ペロー) 王女が紡錘で手を刺して百年間眠る。百年たって王子が訪れ、ちょうど魔法のとける時が来ていたので、王女は目覚め、王子を見つめて「あなたでしたの。ずいぶんお待ちしましたわ」と言う〔*『いばら姫』(グリム)KHM50には、この言葉はない〕。
★2c.百年の死。
『コーラン』「牝牛」261 アッラーが1人の男を百年間死なせた後に、また生き返らせて、「どのくらい時間がたったか?」と訊(たず)ねる。男は「ほんの1日か、半日ほど」と答える。アッラーは「いや、百年もたっているのだぞ」と教える。「お前の食べ物も飲み物も全然腐ってはいない。だが、お前の驢馬を見よ。すっかり白骨になっておる」。そして全能のアッラーは、驢馬を起こして白骨に肉をかぶせた。
★3.お百度参り。祈願成就のために、社寺の境内の一定距離を百回往復する。
『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』(山東京伝) 仇気屋の艶二郎は色男の評判を立てたいために、自分から父親に願って勘当してもらう。そして芸者7~8人を雇い、「艶二郎さんの勘当が許されますように」と、浅草の観音にお百度参りをさせる。芸者たちは、「10度参りくらいでいいのさ」などと話し合う。
『夢十夜』(夏目漱石)第9夜 明治維新の前後のこと。侍である父が、ある夜、出かけたまま帰らない。若い母が3歳の子供を背負い、父の無事を祈って弓矢の神の八幡宮へ毎夜通い、お百度を踏む。しかし、その時すでに、父は浪士によって殺されていた。こんな悲しい話を、夢の中で母から聞いた。
★4.百日参り。
『古本説話集』下-66 比叡山の貧僧が鞍馬寺に百日参り、「清水へ行け」との夢告を得る。清水寺に百日参ると、「賀茂に行け」との夢告がある。僧は賀茂神社へ百日参り、ようやく「御幣紙と打撒(うちまき)の米を取らせよう」との夢告を得る。「打撒の米など、もらってもしかたがない」と僧は思うが、それは、いくら取っても減らぬ米だった〔*『宇治拾遺物語』巻6-6に類話〕→〔箱〕3c。
『諸艶大鑑』(井原西鶴)巻7-4「反故尋て思ひの中宿」 遊女井筒は自分を捨てて身を隠した男を恨み、谷中の七面(ななおもて)明神に百日参りをして、百本の針で毎日指の血をしぼり、道の芝草を赤く染めて祈る。井筒と男はいったん縒りを戻すが、男はまた逃げ出し、やがて井筒の生霊に取り殺される。
枡伏せ長者の伝説 貧しい男が「金持ちになりたい」と願い、7キロ離れた湯山横谷の毘沙門天に百日参りをする。帰りには境内の小竹を1本ずつ持ち帰り、庭に植えて満願の日を待つ。99日目の夜、毘沙門天が「願いを叶えよう。ただし小竹はすべて返せ」と夢告するので、男は小竹を返して詫びる。その後まもなく男は大金持ちになる(愛媛県松山市)→〔長者〕2a。
*百日詣でをして子を授かる→〔申し子〕1の『太平記』巻3「主上御夢の事」。
『封神演義』第10回 易の卦によれば、西伯姫昌(周の文王)には百人の子があるはずのところ、百人目がなかなか生まれない。西伯が殷都朝歌へ赴く途次、将星出現を告げる雷雨があり、古墓の傍らで泣く赤子が見つかる。「これこそ将星である」と西伯は考え、赤子を第百子として認知する。
*→〔一夫多妻〕2の『王様と私』(ラング)のシャム王には、百人以上の子供があった。
『十六歳の日記』(川端康成)5月5日 16歳の「私」は、75歳の祖父を看病しつつ、原稿紙を百枚用意して日記を書く。日記が百枚になるまでに祖父が死にはしないかと不安を覚え、また、日記が百枚になれば祖父は助かる、という気持ちもする〔*30枚ほど書いたところで祖父の病状は悪化し、5月24日に祖父は死んだ〕。
『巨人の星』(梶原一騎/川崎のぼる)「あやうし! 大リーグボール」 中日ドラゴンズの打撃コーチとなった星一徹が、亡妻の遺影に語りかける(家の外に飛雄馬がたたずんでおり、一徹はそれに気づいている)。「かあさんよ。飛雄馬の背番号16に、わしの背番号84を足せば100。すなわち完全じゃ。その足し算とは、父と子、男と男の、血で血を洗う死闘じゃよ。16が100になりたくば、84を呑みこむ足し算。恐ろしい戦い抜きでは果たせぬと知れ」。
★8.百プラス一。
『綾の鼓』(三島由紀夫) 貴婦人華子に失恋して自殺した岩吉が(*→〔太鼓〕2)、亡霊となって現れ、華子の前で綾の鼓を打つ。生前は鳴らすことができなかった鼓が、ほがらかに鳴る。しかし華子は「きこえませんわ」と言う。亡霊は「1つ、2つ、・・・」と数えながら鼓を打つが、華子は「まだきこえない」と首を振る。亡霊は鼓を百まで打ち、「さようなら」と言って消える。華子は「あと1つ打てば、あたくしにもきこえたのに」と言う。
*百日の日照りに百人の舞い→〔雨乞い〕2の『義経記』巻6「静若宮八幡宮へ参詣の事」。
*百の谷があると、龍や大蛇が住む→〔九十九〕4の九十九谷の伝説。
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