社会生物学 批判・評価

社会生物学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 17:37 UTC 版)

批判・評価

社会生物学論争

社会生物学は1960年代に始まった若い学問分野であるが、わずか数十年で多くの研究者の議論対象に上り詰めた。特に、動物の利他的行動を遺伝子の利己的戦略という見方から捉える視点は、人道主義的な人間観・倫理観との間に齟齬をきたし、社会生物学論争と呼ばれる大論争にも発展した。

昆虫や魚、鳥、哺乳類などの多くの動物の行動に対しては、ある程度理論を裏付ける観察結果が得られている。一方で、人間のように行動の可塑性が大きく複雑な社会を持つ動物の行動に対し、遺伝的な進化に焦点を当てたモデルを単純に適用することはむずかしい(このことはほとんどの社会生物学者とその批判者が当然のこととみなしている)。そこで、リチャード・ドーキンスは「利己的な遺伝子」のなかで、文化的情報の自己複製子を意味するミームという新しい用語をつくって文化的な進化の側面に注意を喚起し、また遺伝子とミーム双方の「専制支配」に抵抗する自由意志の重要性を指摘した。。社会生物学が適応できないのは人間の中の文化的な部分、可変的で通文化的でも普遍的でもない部分である。

この分野をめぐって欧米でおこなわれた論争の経緯については、ウリカ・セーゲルストローレ『真理の擁護者たち』(邦訳『社会生物学論争史』)が詳細にまとめている。社会学者である著者は、この論争の初期の現場にも立ち会い、また論争の多くの当事者の文献をフォローし、インタビューをおこなってこの本を書いた。論争の科学的側面はもちろん、その道徳的・政治的側面についても(社会生物学に対する批判のなかに偏見や誤解にもとづくものがあったことを含めて)分析を加えており、多くの点でバランスのとれた紹介となっている。論争の当事者の一人であるE.O.ウィルソンによる論争のまとめは、ラムズデンとウィルソン『精神の起源について』第2章「社会生物学論争」がある。ここで、ウィルソンは論争を2期に分けている[3]

第1次社会生物学論争

E.O.ウイルソンの『社会生物学』の発刊がきっかけになって、ウイルソンvs.「社会生物学研究集団」のあいだに展開された社会生物学批判とそれに対する反論である。社会生物学研究集団は「人民のための科学」を標榜し、米・マサチューセッツ州ボストン周辺の学者達が結成した。中心人物には、S.J.グールド、R.レウォンテインなどがいた。グールドたちの批判は、社会生物学の主張(とくにその最終章)が、人類への進化理論の安易な適用を招き、人種主義・性差別・優生思想等を助長しかねないというものであった[4]。これはイデオロギーあるいは政治的思惑/懸念が科学研究のあり方に介入した例として、しばしばルイセンコ論争と比較される[5]

第2次社会生物学論争

第2の論争は、「外部の政治的集団から際立った干渉」なく、その意味では第1次論争とは大きく性格が異なる[6]。人間行動の研究者たちが「社会生物学のプログラムに潜む根本的な欠陥」を見出したからである[6]メアリー・ミジリーなどは、まだ検証されていないことがあるにしても社会生物学には期待できると主張したのに対し、クリフォード・ギアツマーシャル・サーリンズなどは、人間は特異で豊かな文化をもち、それらは遺伝的な形質に還元できるものとしては分析できないと主張した[7]

ウィルソンらの「遺伝子・文化共進化」という構想は、第2次社会生物学論争に応えるものとしてでてきた[8]。遺伝子・文化共進化という構想は、現在では、二重継承理論二重相続理論として研究されている。

その他の評価・批判

ジョーン・ザイマンは、方法論的個人主義が社会生物学にも内在していると指摘している。[9]

日本における評価

日本では、今西錦司の構想に従って、世界に先駆けて霊長類の社会学的研究がすすめられてきた。とくに20世紀後半では、日本の霊長類学の再出発は、欧米の再出発より10年以上も早かった[10]。日本の生物社会の研究は、今西錦司が最初、野生馬社会の研究において適用した命名による個体識別を基礎としている。それによりニホンザルの血縁関係を長期にわたり記録することが可能となり、系統によって文化的能力に差が見られることまで発見された。幸島のサルのイモ洗い行動や麦洗い行動は、年齢や単位集団内の地位により学習速度が異なることのほか、革新的行動をおこす家系までもが発見された。このような発見は、遺伝子中心主義に基づく研究が、個体中心的な行動に偏っていたのに対し、今西錦司は 群れ中心的な社会行動の伝承などを強調している[11]

日本の霊長類学は、その後、アフリカや東南アジアの霊長類の研究にまで拡大されたが、文化(カルチャー)や感情のコミュニケーションなどを排除しない研究に発展した。たとえば、 コンゴのワンパでボノボを研究した黒田末寿は、個体間の食物分配に焦点をあて、豊かでダイナミックな社会関係が観察されることを明らかにした[12]

日本のサル学(霊長類研究)と社会生物学あるいは行動生態学とは、主として視点の違いであり、学問体系として矛盾するものではないが、社会生物学が遺伝子の増殖という観点にこだわりすぎる結果、人間をふくむ霊長類社会を理解する点で、偏った研究と情報を生み出していることに対しては、一般に批判的である[13]。E.O.ウィルソンは、「遺伝子=文化共進化」という概念により、人間を含めた文化的活動を統合しようとしている[14]。しかし、この文化は、ドーキンスが「ミーム」あるいは「延長された表現型」と呼んだものが典型となっており、類人猿とくにチンパンジー属や人間の文化をじゅうぶん捉えきれたものかどうか、大きな疑問がある。とくに生物的能力に支えられてはいるが、文化固有の発展機構については、まったく考察されていない。[15]


  1. ^ Alcock,John Animal Behavior 2001. Sinauer, Sunderland
  2. ^ アモツ・ザハヴィ『生物進化とハンディキャップ理論』p198
  3. ^ ウリカ・セーゲルストローレは、このように単純に段階付けていない。(2005)『社会生物学論争史』(1)(2)垂水雄二訳、みすず書房。
  4. ^ ウリカ・セーゲルストローレ『『社会生物学論争史』、ラムズデンとウィルソン『精神の起源について』第2章「社会生物学論争」pp.56-66.
  5. ^ たとえば、U.セーゲルストローレ『社会生物学論争史』2(p.401)、バーバート・ギンタス『ゲーム理論による社会科学の統合』NTT出版、p.356.
  6. ^ a b ラムズデンとウィルソン『精神の起源について』p.66.
  7. ^ ラムズデンとウィルソン『精神の起源について』pp.66-68.
  8. ^ ラムズデンとウィルソン『精神の起源について』pp.68-75.
  9. ^ John Ziman (Ed.) Technological Innovation as an Evolutionary Process, Cambridge University Press,2000, p.9
  10. ^ 伊谷純一郎「霊長類社会構造の進化」『霊長類社会の進化』平凡社、1987年。第8章、p.209.
  11. ^ 伊谷純一郎「霊長類社会構造の進化」『霊長類社会の進化』平凡社、1987。第8章、p.301.
  12. ^ 黒田末寿『人類進化再考/社会生成の考古学』以文社、1999。
  13. ^ 伊谷純一郎「社会行動を作る行動」『霊長類社会の進化』平凡社、1987。第5章、pp.224-225. 黒田末寿『人類進化再考/社会生成の考古学』以文社、1999。pp.64-65. p.152.
  14. ^ E.O.ウィルソン『知の挑戦』角川書店、2002.特に第七章「遺伝子から文化へ」
  15. ^ 音喜多信博 2008 「文化的進化の自律性と倫理 : E・O・ウィルソンの「還元主義」に抗して」『金城学院大学キリスト教文化研究所紀要 』11: 21-35.






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