偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:39 UTC 版)
息子(氏綱・氏時・氏広・長綱(幻庵)) 大道寺盛昌(重時(宗瑞の従兄弟)の子) 松田盛秀(初め顕秀) それぞれの名前を名乗っていたとする証明になるのが、息子たちや家臣にみられる偏諱(名前の1字)を与えられた人物であり、上に挙げた人物から以下のように考えられる。 長男・氏綱、次男・氏時、三男・氏広ほか後北条氏一族の諱に「氏」の字が入っていることから、祖にあたる宗瑞も「氏」の付いた名前(長氏、氏茂、氏盛)のいずれかは名乗っていた 次男・氏時の名前より盛時は名乗っていた 四男・長綱の名前より長氏は名乗っていた 盛昌・盛秀、および実父・伊勢盛定の名前から「盛」の付いた名前(盛時(もりとき)あるいは氏盛(うじもり))は名乗っていた 以上のことを総合して考慮すれば、少なくとも「盛時」「長氏」「氏盛」のいずれかは名乗っているということになる。途中で改名した可能性を否定できないため、必ずしもこのうちの1つだけとは限らない。 1については、「氏綱が従兄弟にあたる今川氏親から1字を与えられた(氏綱・長綱の「綱」字は伊勢盛定の父・盛綱に由来するとされる)」とする説があり、この場合は必ずしも父の宗瑞が「氏」の入った名前を名乗っていた必要はない。また別の一説によれば、「氏」の字は北条時行の子とされる北条行氏(ゆきうじ)に肖ったとしている。ただし、前述したように宗瑞の代に北条姓を名乗ったと確定する史料に欠ける。 大道寺盛昌、松田盛秀と、「盛」の字を与えられた人物が2人もいることなので、4については最も有力視でき、冒頭で前述したとおり、「盛時」を名乗っていたのが定説となっている。生誕年の判っていない盛秀については、妻(北条綱成の妹)のことを考慮すれば年代的に宗瑞の世代ではないのではと疑問視する説もあるが、顕秀からわざわざ改名していることからやはり「盛」の字を賜った可能性は残る。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「北条早雲」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「北条早雲」の記事については、「北条早雲」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 08:06 UTC 版)
樋口暢朝(ながとも、実弟) 樋口暢英(ながひで、実弟) 浅井暢謙(ながかた、実弟) 田島暢茂(ながしげ、従兄弟、養父・宗義蕃の次男で義兄弟にあたる。) 表 話 編 歴 宗氏対馬府中藩10代藩主 (1762年 - 1778年)宗義智1588-1615 宗義成1615-1657 宗義真1657-1692 宗義倫1692-1694 宗義方1694-1718 宗義誠1718-1730 宗方熈1731-1732 宗義如1732-1752 宗義蕃1752-1762 宗義暢1762-1778 宗義功(兄)1778-1785 宗義功(弟)1785-1812 宗義質1812-1838 宗義章1839-1842 宗義和1842-1862 宗義達1862-1871 廃藩置県
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「宗義暢」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「宗義暢」の記事については、「宗義暢」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/17 06:23 UTC 版)
義蕃時代(※前述した通り、「蕃」については「しげ」、「あり」の2通りの読みが考えられる。) 氏江蕃寿(長男、氏江氏としての嫡男) 宗 蕃建(3男)- 8男・苗建斎(たつとき)に「建」の字を下賜。 高瀬蕃常(従兄弟、叔父で第7代藩主の宗方熈の次男。7男・常久の養父でもあると思われる) 表 話 編 歴 宗氏対馬府中藩9代藩主 (1752年 - 1762年)宗義智1588-1615 宗義成1615-1657 宗義真1657-1692 宗義倫1692-1694 宗義方1694-1718 宗義誠1718-1730 宗方熈1731-1732 宗義如1732-1752 宗義蕃1752-1762 宗義暢1762-1778 宗義功(兄)1778-1785 宗義功(弟)1785-1812 宗義質1812-1838 宗義章1839-1842 宗義和1842-1862 宗義達1862-1871 廃藩置県
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「宗義蕃」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「宗義蕃」の記事については、「宗義蕃」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/13 15:55 UTC 版)
龍造寺常家(龍造寺胤家の孫、父は胤直、子とされる鎮家は大友義鎮(宗麟)の偏諱を受ける。) 石井常延(千葉氏の一族。佐賀藩祖鍋島直茂の正室で、初代藩主鍋島勝茂の生母陽泰院の実父)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「千葉興常」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「千葉興常」の記事については、「千葉興常」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 07:32 UTC 版)
尚慶時代 (*「慶」の読みについては「のり」、「よし」の2通りが伝わっており、確定していない。というのも、畠山氏一門で畠山満慶が前者、満慶の曾孫・畠山慶致が後者で読まれているためである。※また、慶致については、ほぼ同時期に生きた人物であり、尚慶から偏諱を受けた可能性もある。) (※畠山慶致 - 能登畠山氏) 椎名慶胤 野辺慶景 神保慶宗 神保慶明(越中守護代、慶宗の弟とされる、※久保尚文は『越中中世史』において、畠山慶致の偏諱かもしれないとしている。) 遊佐慶親(蓮沼城主) 尚順時代 椎名順胤 遊佐順房 遊佐順盛(ゆさ のぶもり、家臣)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「畠山尚順」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「畠山尚順」の記事については、「畠山尚順」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/06 14:52 UTC 版)
※「熙」については異体字で「煕」や「熈」とも書く。 山名満時(長男) 山名持熙(次男) 山名熙高(猶子・従兄弟) 山名時高(熙高の長男) 山名熈成(熙高の次男) 山名熈幸(熙高の三男) 山名熙之(氏之の子) 山名熙貴(従甥) 垣屋熙忠(遠江入道) 垣屋熙続(熙忠長男:越前守) 垣屋熙知(熙忠次男:越中守) 小早川煕平(安芸沼田小早川氏) 浦煕氏(浦熈氏とも、浦氏当主、小早川煕平の三従兄弟にあたる) 三吉熈秀(備後三吉氏) 毛利煕元(安芸毛利氏) 山内熙通(備後山内氏、山内直通の曽祖父)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「山名時熙」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「山名時熙」の記事については、「山名時熙」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 23:33 UTC 版)
小出三尹(和泉陶器藩初代藩主) 相馬三胤(のちの相馬利胤、陸奥相馬中村藩初代藩主) 松野三正(のちの松野重元。) 多賀谷三経(常陸下妻城主多賀谷重経の子。のち結城秀康の家臣)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「石田三成」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「石田三成」の記事については、「石田三成」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/30 04:43 UTC 版)
氏江如苗(実弟、のちの宗義蕃、次代(第9代)藩主) 宗 如式(ゆきのり、長男) 真孫如資(3男、のちに義蕃の養嗣子となり宗義暢に改名し第10代藩主となる。) 俵 如泰(4男) 浅井如英(5男) 樋口如連(従兄弟、養父である叔父・宗方熈(第7代藩主)の長男なので義兄弟でもある。方熈が継いでいた樋口家を継ぐ。) 村岡如喬(従兄弟、伯父・宗義方(第5代藩主)の三男) 表 話 編 歴 宗氏対馬府中藩8代藩主 (1732年 - 1752年)宗義智1588-1615 宗義成1615-1657 宗義真1657-1692 宗義倫1692-1694 宗義方1694-1718 宗義誠1718-1730 宗方熈1731-1732 宗義如1732-1752 宗義蕃1752-1762 宗義暢1762-1778 宗義功(兄)1778-1785 宗義功(弟)1785-1812 宗義質1812-1838 宗義章1839-1842 宗義和1842-1862 宗義達1862-1871 廃藩置県
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「宗義如」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「宗義如」の記事については、「宗義如」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 14:59 UTC 版)
光隆時代 蜂須賀隆重(実弟) 蜂須賀隆矩(実弟) 蜂須賀隆喜(実弟) 表 話 編 歴 蜂須賀氏徳島藩3代藩主 (1652年 - 1666年)蜂須賀至鎮1601-1620 蜂須賀忠英1620-1652 蜂須賀光隆1652-1666 蜂須賀綱通1666-1678 蜂須賀綱矩1678-1728 蜂須賀宗員1728-1735 蜂須賀宗英1735-1739 蜂須賀宗鎮1739-1754 蜂須賀至央1754 蜂須賀重喜1754-1769 蜂須賀治昭1769-1813 蜂須賀斉昌1813-1843 蜂須賀斉裕1843-1868 蜂須賀茂韶1868-1871 廃藩置県 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「蜂須賀光隆」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「蜂須賀光隆」の記事については、「蜂須賀光隆」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 08:56 UTC 版)
毛利就隆(実弟、徳山毛利家初代) 毛利就信(右田毛利家) 毛利就直(就信の実弟、吉敷毛利家に養子入り) 毛利就方(阿川毛利家) 毛利就泰(就方の子) 毛利就頼(大野毛利家初代) 毛利就詮(就頼の子) 阿曽沼就致(阿曽沼氏、毛利元就七男・天野元政の孫) 阿曽沼就忠(阿曽沼氏一門、娘に益田就恒継室がいる。) 尼子就易(佐佐木就易とも、尼子氏) 浦就昌(浦氏) 榎本就時(榎本氏、毛利綱広期に当役を務める。) 堅田就政(湯野領主堅田家、毛利綱広期に当職を務める。) 吉川就紀(毛利一門・岩国領主吉川氏) 国司就正(国司氏、秀就の守役・国司元蔵の子) 宍戸就俊(宍戸氏、宍戸広匡の弟) 宍戸就尚(宍戸広匡の長男) 宍戸就附(就尚の実弟・熊谷元実の子。就尚の養子となって跡を継ぐ。) 熊谷就実(熊谷元実の子、就附の実弟。実家の安芸熊谷氏を継承。) 清水就信(清水氏) 椙杜就幸(椙杜氏、椙杜元縁の養子。毛利綱広期に当役を務める。) 梨羽就云(梨羽氏、秀就期の家老で、秀就が亡くなってから間もなくして殉死した。) 益田就宣(須佐領主益田家第3代当主、益田元尭の子) 益田就恒(福原就祥/就裕)(初め福原元俊婿養子、のち須佐領主益田家第6代当主、就宣の実弟) 井原就尭(益田就宣・就恒の実弟) 益田就固(益田景祥の子) 椋梨就頼(椋梨氏) 椋梨就次(就頼の子) 山内就通(備後山内氏、山内大隈広通の孫、山内采女広通の祖父)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「毛利秀就」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「毛利秀就」の記事については、「毛利秀就」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 00:06 UTC 版)
(*「光」の字は義光の読みに合わせて「あき」と読むのが正確だが、一部の人物では「みつ」と読ませることもある。) 最上義康(長男) 楯岡光直(楯岡城主) 山野辺光茂(義忠)(四男、山野辺城主) 最上光広(上野山義直)(五男、上山城主) 大山光隆(六男、大山城主) 最上義親 のち家親、三男はのち清水義親に改名) 松根光広(甥(実弟・長瀞義保の子)、白岩城主) 氏家光棟(娘婿説もあり。氏家守棟の嫡男。十五里ヶ原の戦いで戦死) 氏家光氏(娘婿、天童城主、初名は成沢光氏、守棟の従兄弟・成沢道忠の子) 延沢光昌(娘婿、野辺沢城主、満延の子) 江口光清 志村光清(光安の父) 志村光安(亀ヶ崎城主) 志村光惟(光清とも、光安の子) 坂光秀(長谷堂城主) 蔵増光忠(蔵増安房守、細川直元を滅ぼした戦功により小国郷を与えられる) 小国光基(蔵増安房守光忠の子、新領地に因んで小国に改姓、のち小国城主となる) 斎藤光則(高櫤城主) 寒河江良光?(安中坊壽斎) 寒河江光俊?(外記、寒河江広俊と同一人物ともされる)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「最上義光」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「最上義光」の記事については、「最上義光」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 07:09 UTC 版)
(*前述の通り、「高」は将軍足利義高(義澄)から授与されたもの、「基」は初代鎌倉公方・足利基氏より一字を取ったものである。) 足利基頼(もとより、実弟)- 天文7年(1538年)の第一次国府台合戦において北条軍の攻撃を受けて甥(兄・義明(高基の弟)の子)の義純とともに討ち死にする。義明もその後に戦死した。 大関高増(大田原資清の子) 小山高朝(結城政朝の子) 那須高資 二階堂高盛(たかもり、家臣、二階堂氏一族) 簗田高助(家臣) 簗田基良(もとよし、高助の弟) 簗田基助(もとすけ、高助・基良の従兄弟) 先代: 足利政氏 古河公方 第3代 次代: 足利晴氏 ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 30頁。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「足利高基」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「足利高基」の記事については、「足利高基」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 04:29 UTC 版)
※「村」の字は、祖先の赤松則村(円心)に由来する。一部の人物は次代・赤松政村(義村の子、のちの晴政)の代に賜っている可能性がある。 赤松村秀(義弟、養父・政則の実子(庶子)) 赤松村吉 赤松村景 赤松村虎(美作弓削庄(現・岡山県久米南町)を本拠とする赤松上野家の当主。) 在田村長 有馬村則 有馬村秀 宇野村頼 宇野村春 浦上村宗 浦上村国 喜多野村綱 小寺村職(別名:政隆、小寺則職の子で小寺政職の祖父にあたる) 広岡村宣 別所村治(のち就治)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「赤松義村」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「赤松義村」の記事については、「赤松義村」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 09:23 UTC 版)
「宗義功 (富寿)」の記事における「偏諱を与えた人物」の解説
宗 功茂(かつしげ、次男で次代藩主。のち義質に改名) 杉村功加(宗氏家臣で、次代・義質亡き後、その遺言を偽造して政争を巻き起こす原因を作ったとされる)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「宗義功 (富寿)」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「宗義功 (富寿)」の記事については、「宗義功 (富寿)」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 16:09 UTC 版)
神保長住(長男) 神保長城(次男。長国、昌国かとも) 神保長国(三男かとも、昌国かとも) 神保昌国(三男かとも) 神保職広(神保氏一門、家臣) 小島職鎮(家老) 塩井職清(家臣) 寺島職定(家老) 水越職勝(家臣、水越勝重の子か)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「神保長職」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「神保長職」の記事については、「神保長職」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:07 UTC 版)
(*前述の通り、「政」の字は8代将軍・足利義政より偏諱を賜ったものである。) 大井政光 大井政朝(政光の嫡男) 大井政則(政光の子とされる) 小田政治(※亡き父・足利政知(義政の庶兄)から1字を取った可能性もある。) 小山政長 那須政資 二階堂政盛 - 家臣、二階堂氏一族。 野田政朝 野田政保 簗田政助(義従兄弟(満助の孫)) 結城政朝 結城政直(政朝の子) 結城政勝(政朝の子)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「足利政氏」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「足利政氏」の記事については、「足利政氏」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 13:34 UTC 版)
徳川家定(四男・嫡子、第13代将軍、初め家祥) 徳川慶昌(五男、一橋徳川家を継承) 徳川慶福(甥(弟・斉順の子)、紀伊藩主となった後に第14代将軍徳川家茂となる) 徳川慶臧(田安斉匡(家慶の叔父)の十男、尾張徳川家を継承) 徳川慶勝(初め慶恕、慶臧養嗣子) 徳川慶篤(水戸徳川家) 徳川慶頼(娘婿、田安斉匡の九男、父の跡(田安徳川家)を継ぐ) 徳川慶壽(田安斉匡の五男、一橋慶昌の養嗣子) 徳川慶喜(慶篤の実弟、初め昌丸(一橋慶壽養子)の養子、後に第15代将軍となる) 松平慶倫 松平慶永(春嶽、田安斉匡の八男、福井松平家に養子入り) 松平慶憲 伊達慶邦(初め慶寿(慶壽)) 前田慶寧(甥(母は家慶の異母妹・溶姫)) 池田慶行(鳥取藩池田家) 池田慶栄(甥(母は家慶の異母妹・溶姫)、前田慶寧の実弟で池田慶行の養子) 池田慶徳(慶篤の実弟、慶喜の実兄で慶栄の養子) 池田慶政(岡山藩池田家) 浅野慶熾(甥(母は家慶の異母妹・末姫)) 毛利慶親 - のち禁門の変により偏諱を剥奪されて敬親に改名。 黒田慶賛(※明治維新以後、長知に改名) 有馬慶頼(※明治維新以後、頼咸に改名) 細川慶前 細川慶順(慶前の弟 ※明治維新以後、韶邦に改名) *「慶」には「よろこぶ」の意味があり、徳川慶福・慶壽・慶喜などのように、縁起の良い漢字を2文字目において名乗る人物もみられる。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「徳川家慶」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「徳川家慶」の記事については、「徳川家慶」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物(家臣)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 15:22 UTC 版)
昭景時代 佐須景満(対馬国守護代、初め調満) 吉智・義智時代 宗智順(とししげ(ともしげ)、甥(兄・義純の次男)、叔父(義智の兄)・宗調国の家系を継承) 大石智久 木村智清 杉村智清(宗氏一族。父は杉村調長。朝鮮出兵(文禄の役)の大同江の戦いにて戦死。) 杉村智広 杉村智次(娘婿) 橘智正(別名:井手弥六左衛門) 仁位智信 古川智次 松尾智保(通称:七左衛門) 柳川智永(父は宗義調の代から活動する柳川調信。慶長5年(1600)6月12日、従五位下豊前守に叙任された。子の柳川調興は義智の娘婿で、のちに柳川一件に関与。) 柳川智信(景直に改名、宗智順の子。柳川調信の養子) 柚谷智広(父・柚谷康広は主に宗義調の代から活動。)
※この「偏諱を与えた人物(家臣)」の解説は、「宗義智」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物(家臣)」を含む「宗義智」の記事については、「宗義智」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 06:07 UTC 版)
石川持光(いしかわ もちみつ、陸奥石川氏) 一色持家 岩松持国 上杉持定(扇谷上杉家) 上杉持朝 上杉氏憲(犬懸上杉家)- 持氏と折り合いが悪く、後に上杉禅秀の乱を起こすが敗死。 宇都宮持綱 大井持光 大森氏頼 - 扇谷上杉家の重臣として知られる人物であるが、永享の乱以前は鎌倉府に仕えていた。 大多和持高(おおたわ もちたか)- 大多和氏。系譜は「義遠-義武-義之-義雄-義高-持高」と伝わり、持高は持氏の偏諱授与者と考えられている。 大伴持時(おおとも もちとき) - 家系は古代氏族・大伴氏の末裔を称し、鶴岡八幡宮神主を世襲した家柄。応永21年(1414年)3月、11歳で持氏から偏諱を賜ったと伝わる。 小田持家 小山持政 木戸持季(きど もちすえ) - 野田持忠(野田氏)と同族で、小山義政の乱後に下野守護に任命された木戸貞範(法季)の孫。結城合戦において結城氏朝方につき討死。 野田持忠 野田持保(のだ もちやす) - 宝徳3年(1451年)に野田持忠が知行に強入部したとして名前の伝わる人物。持忠の近親者(弟か)と思われる。 舞木持広(もうぎ もちひろ)- 駿河守。家系は藤原秀郷流佐貫氏の支流とされる。岩松満純(持国の伯父)の追討や、被官の赤井若狭守とともに参加した永享の乱で活躍。永享12年(1440年)山内上杉家の家宰・長尾忠政(忠綱の子)により謀殺された。 簗田持助 結城氏朝(下総結城氏) 結城氏朝(白河結城氏) - 上記の下総結城氏の氏朝と同名の人物だが、白河結城氏は京都扶持衆の一員であるなど幕府寄りであり、永享の乱・結城合戦においてはそれぞれ鎌倉府・下総結城氏と敵対している。 結城持朝(下総結城氏)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「足利持氏」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「足利持氏」の記事については、「足利持氏」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 03:52 UTC 版)
義就時代 遊佐就家 遊佐就盛 ※「就」の読みについては長らく「なり」(毛利元就などと同様)と読まれてきたが、近年になって教科書等では「ひろ」と読む傾向になってきている。但し、上に示した偏諱を与えられた人物に関しては「なり」と読まれることが多い。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「畠山義就」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「畠山義就」の記事については、「畠山義就」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 23:15 UTC 版)
(*前述の通り、「成」の字は将軍足利義成(のちの義政)から賜ったものであり、「しげ」と読む。) 岩松成兼 宇都宮成綱 - 宇都宮正綱の長男。宇都宮氏の全盛期を築き、娘の瑞雲院を成氏の孫にあたる足利高基に正室として嫁がせるなど、古河公方との特別な関係を築いた。 小田成治 小山氏郷 - 小山持政の長男だが、父に先立ち早世している。 小山成長 - 小山氏の支流・山川氏の出身で、氏郷の早世により、持政の養子に迎えられる。 大森成頼 - 大森氏頼の弟・憲頼(のりより)の子。享徳の乱では父とともに成氏方につき、氏頼・実頼父子と対立した。 里見成義 - 実在が疑われている(詳細は当人の項目を参照)。 二階堂成行 - 二階堂氏。長禄年間(1457年 - 1461年頃)から成氏に仕える。 野田成朝 簗田成助 結城成朝 結城氏広 - 成朝の甥。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「足利成氏」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「足利成氏」の記事については、「足利成氏」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 02:29 UTC 版)
義誠時代 古川誠恒(義誠の兄・古川真言の養子。また、娘の修性院は義誠の次男・義蕃の正室となる) 表 話 編 歴 宗氏対馬府中藩6代藩主 (1718年 - 1730年)宗義智1588-1615 宗義成1615-1657 宗義真1657-1692 宗義倫1692-1694 宗義方1694-1718 宗義誠1718-1730 宗方熈1731-1732 宗義如1732-1752 宗義蕃1752-1762 宗義暢1762-1778 宗義功(兄)1778-1785 宗義功(弟)1785-1812 宗義質1812-1838 宗義章1839-1842 宗義和1842-1862 宗義達1862-1871 廃藩置県
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「宗義誠」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「宗義誠」の記事については、「宗義誠」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 16:50 UTC 版)
神保国宗(じんぼう くにむね、?-1454、神保氏)- 家臣・守護代。持国の後継者問題(前述参照)では弥三郎政久を推すが、義就派の追討を受け没落し、1454年に謀殺された。子とされる長誠も政久およびその弟・政長に属す。 遊佐国助(ゆさ くにすけ、?-1460) - 家臣・守護代。持国の後継者問題(同)では義就を推して神保国宗らと対立。その後も義就派として活動するが、居城を政長軍に攻められた際に戦死。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「畠山持国」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「畠山持国」の記事については、「畠山持国」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物(家臣)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 07:34 UTC 版)
家督継承時 窪奈調親(宗将盛の異母弟、義智の叔父) 宗調尚(将盛の子で義調の養子、のちの茂尚) 宗調弘(将盛の子で義調の養子、のちの義純) 宗調国(将盛の子、茂尚・義純の弟、義智の兄) 佐須調満(対馬国守護代、のち景満に改名) 柳川調長 柳川調信(調長の弟) 当主再就任以後 杉村調長(佐須景満の弟・杉村広幸の孫。杉村氏は元々宗氏の庶流。) 柳川調興(調信の孫、父は智永。柳川一件に関与。)
※この「偏諱を与えた人物(家臣)」の解説は、「宗義調」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物(家臣)」を含む「宗義調」の記事については、「宗義調」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/15 02:45 UTC 版)
松平善道(養叔父(養父・斉承の弟)) 岡田善功(松江藩主・松平斉恒の養弟。久世道空六男)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「松平斉善」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「松平斉善」の記事については、「松平斉善」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 22:02 UTC 版)
「北条時村 (政村流)」の記事における「偏諱を与えた人物」の解説
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「北条時村 (政村流)」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「北条時村 (政村流)」の記事については、「北条時村 (政村流)」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/08 17:18 UTC 版)
鍋島与善(甥(兄・直道の子)。正式表記:鍋島與善、幼名:敬之助、1811-1839)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「鍋島直与」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「鍋島直与」の記事については、「鍋島直与」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 03:59 UTC 版)
但し、以下の人物は次代の宇都宮成綱が偏諱を与えた可能性もある。 壬生綱重 笠間資綱
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「宇都宮正綱」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「宇都宮正綱」の記事については、「宇都宮正綱」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:45 UTC 版)
重喜時代 (もともと「喜」の字は第7代藩主宗英の実父である隆喜から1字を取ったものである) 蜂須賀喜昭(長男、のち治昭に改名) 蜂須賀喜翰(次男、子に喜周。) 蜂須賀喜和(三男) 蜂須賀喜儀(四男、初名:喜起) 蜂須賀喜寛(六男、別名:允迪) 蜂須賀喜端(十男、別名:允澄) 蜂須賀喜憲(藩主一門、8代宗鎮の養嗣子となった後に廃嫡された蜂須賀重隆の嫡男)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「蜂須賀重喜」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「蜂須賀重喜」の記事については、「蜂須賀重喜」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 02:39 UTC 版)
里見親宜(東根源右衛門尉親宜) - 最上氏一門。初め頼宜。家親の義兄弟(妻が家親の姉または妹の禧久姫)。最上氏改易後は預け先の徳島藩蜂須賀氏にそのまま仕え、子孫は徳島藩士として続く。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「最上家親」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「最上家親」の記事については、「最上家親」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:20 UTC 版)
晴政時代 赤松政秀(従兄弟・娘婿、宇野政秀とも) 宇野政頼(→詳しくはこちら - archive.today(2013年12月15日アーカイブ分)を参照。) 浦上政宗 小寺政職
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「赤松晴政」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「赤松晴政」の記事については、「赤松晴政」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 13:35 UTC 版)
津野基高 - 津野氏当主。前述の通り、謀反を起こして敗れ房基に臣従。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「一条房基」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「一条房基」の記事については、「一条房基」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 04:25 UTC 版)
※後醍醐の諱(実名)、「尊治」のいずれかの字を与えられた人物。 皇子 尊良 親王 尊雲 法親王(のちの護良親王) 尊澄 法親王(のちの宗良親王) 静尊 法親王 尊真 武士 足利尊氏(※足利高氏より改名(読み変更なし))饗庭尊宣 - 別名、饗庭氏直。尊氏に近臣(寵童)として仕えて重用され、「尊」の字を賜う。 吉良尊義 - 初め義貴、のち尊氏から「尊」の字を賜う。 小田治久 (※小田高知より改名)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「後醍醐天皇」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「後醍醐天皇」の記事については、「後醍醐天皇」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 21:30 UTC 版)
義述時代 戸次述常 能延・義延時代 戸次延常(べっき のぶつね) - 戸次統常の嫡男。 一萬田延続(いちまだ のぶつぐ) - 一萬田鑑実の弟・鑑景(あきかげ)の孫。父は統綱(むねつな)、兄は統貫(むねつら)。初名の統続(むねつぐ)から改名。 大野延基(おおの のぶもと)(大野氏第27代当主) 三田井延親(みたい のぶちか)- 大友義右期の家臣・三田井右武の曾孫。三田井氏についてはこちらを参照。 戸次延常(べっき のぶつね) -家臣 義乗時代 清田乗栄(きよた のりはる) - 祖父・鎮忠は大友義鎮(宗麟)の娘婿なので、義鎮の曾孫にあたる。「乗」字は父・鎮乗から賜った可能性もある。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「大友義乗」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「大友義乗」の記事については、「大友義乗」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:30 UTC 版)
「北条氏#北条氏による一字付与について」も参照 足利頼氏(甥(時頼の妹の子)、初め利氏)。 大友頼泰(初め泰直) 佐々木頼綱(六角頼綱) 佐々頼起(佐々木頼綱の実弟) 佐々木時清 佐々木頼清(時清の子) 佐々木頼泰(時清の弟、塩冶頼泰、佐々木氏義清流) 平頼綱 武田時綱 千葉頼胤 長井頼重 二階堂行頼(二階堂氏) 二階堂頼綱(二階堂氏) 尾藤頼景(景頼) 平賀惟時(安芸平賀氏) 三浦頼盛
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「北条時頼」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「北条時頼」の記事については、「北条時頼」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 14:08 UTC 版)
「北条氏#北条氏による一字付与について」も参照 北条実泰(実弟、初め実義、北条氏 (金沢流)祖) 北条実時(甥(実泰の子)) 足利泰氏(外孫) 安達泰盛 宇都宮泰綱 宇都宮泰親(泰綱の兄・時綱の子) 大友泰直 野津原能泰 田北親泰 小田泰知(泰朝)(常陸小田氏) 河越泰重 工藤光泰 佐々木泰綱(佐々木氏六角流) 佐々木泰清(佐々木氏義清流) 高岡泰重(小田泰知の実弟、常陸高岡氏祖) 武田信時 千葉泰胤(千田泰胤) 千葉泰秀(秀胤の子) 長井泰秀 長井泰重 二階堂行泰(二階堂氏) 畠山泰国(従兄弟) 平賀惟泰(安芸平賀氏) 三浦泰村(初め義弟、のち娘婿) ほか 泰時が執権在任の間は、将軍は藤原頼経であって、「泰」の字が泰時の偏諱であるのは確かであり、この字が「得宗→御家人」という形で授与される図式が成立していたことが研究で指摘されている。また、上記のほとんどが、泰時を元服時の烏帽子親とした者だが、泰時は歴代の中でも比較的高齢(42歳)で得宗家当主(および執権)となっており、一見すると世代がずれているような、孫にあたる足利泰氏などが対象になっているのは矛盾ではなく、実際の世代としては泰時の子・時氏や孫の経時・時頼とほぼ同じ人物が多いと言える。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「北条泰時」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「北条泰時」の記事については、「北条泰時」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 05:34 UTC 版)
足利冬氏 - 嫡男 足利成直 - 直冬の子で冬氏の弟。詳細は不明。 今川直貞 - 直冬配下の武将として九州を転戦している。今川氏の一族であるが、系譜上の位置および後に九州探題となる今川貞世(了俊)との関連性は不明 宇都宮冬綱(城井冬綱) 塩冶冬貞 - 塩冶高貞の子(南条貞宗の兄か) 少弐直資 - 少弐頼尚の嫡男で、直冬の義兄弟(妻の兄弟)にあたる。正平14年/延文4年(1359年)の筑後川の戦いで戦死 少弐冬資 - 直資の弟 戸次直光 富田直貞(富田氏) - 月山富田城主・富田秀貞の子で塩冶高貞の従兄弟とされる。直冬に従い宮兼信・氏信父子を攻撃するも敗れる)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「足利直冬」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「足利直冬」の記事については、「足利直冬」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 04:45 UTC 版)
粟飯原氏光(粟飯原氏) 饗庭氏直(尊宣)(近臣・寵童) 伊東氏祐(別名:祐重、日向伊東氏第8代当主で伊東祐安の父) 宇都宮氏綱 大友氏泰 大友氏時 長井氏元 小俣氏連 小俣尊光 小山氏政 小笠原氏長 金山氏実 吉良尊義(初め義貴) 高坂氏重(高坂氏) 斯波氏経 斯波氏頼 島津氏久 曽我氏助 千葉氏胤 宍戸氏朝 土岐氏光(土岐頼遠の子。今岑氏を称する) 富樫氏春(富樫氏、富樫昌家の父) 宮氏信 吉見氏頼(吉見氏) 六角氏頼 (補足) 「尊」の字は前述の通り、元々後醍醐天皇(名は尊治)から1字を与えられたものであり、これを与えられた饗庭尊宣、吉良尊義の両名に関しては、尊氏から破格の待遇を受けていたことがうかがえる。 吉見尊頼(吉見義世の子、のち渋川直頼の猶子となり渋川義宗を称す)の「尊」に関しては尊氏から受けたものというよりは、尊氏と同じく後醍醐天皇から1字を受けたものと推測される。 曾孫の尊満(足利義満の庶長子)や足利義尊(直冬の孫)をはじめ、子孫にも尊氏に肖って「尊」の字を用いる人物が見られる。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「足利尊氏」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「足利尊氏」の記事については、「足利尊氏」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 10:17 UTC 版)
(*[ ]内は初名または別名。) 二条光平(公家) 徳川光友[光義](従弟・娘婿、尾張徳川家) 徳川光貞(従弟、紀伊徳川家) 徳川光圀[光国](従弟、水戸徳川家、水戸黄門) 松平光長(甥(母が家光の姉・勝姫)) 松平光通 伊達光宗(従甥(母・振姫が家光の従姉(伯母・督姫と池田輝政の娘))、仙台藩世子であったが早世) 丹羽光重 牧野光成 前田光高(甥(母が家光の姉・珠姫)) 池田光政(初め鳥取藩主、のち岡山藩主。家光の義甥(母が秀忠の養女・鶴姫(榊原康政の娘)、但し家康の外孫ではない)。) 池田光仲(初め岡山藩主、のち鳥取藩主。家光の従甥で、光政と伊達光宗の従兄弟にあたる。父の忠雄は家光の従兄弟(家康の外孫)) 浅野光晟 蜂須賀光隆(徳島藩主。祖母の敬台院が徳川家康の外曽孫で養女) 毛利光広(長府藩主) 黒田光之 鍋島光茂 加藤光広[光正] 細川光尚[光利] 島津光久
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「徳川家光」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「徳川家光」の記事については、「徳川家光」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 14:40 UTC 版)
津野定勝 - 父・房基の代に一条氏に降伏・臣従した津野氏の当主。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「一条兼定」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「一条兼定」の記事については、「一条兼定」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物(家臣)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 15:45 UTC 版)
「織田信雄」の記事における「偏諱を与えた人物(家臣)」の解説
信勝時代 久保勝正 滝川勝雅(のちの雄利) 信雄時代 天野雄光 小坂雄吉(信雄の傅役) 小坂雄善(雄吉の子(※『武功夜話』のみ)) 小坂雄長(雄吉の子) 小坂雄忠(雄長の子) 小坂雄綱(雄長の子) 滝川雄利(北畠氏時代からの家臣、別名:雄親、滝川一益の娘婿) 津川雄光(旧名・津川義冬、滝川一盛(雄利の旧名)との連署書状(「廓坊文書」)に署名が残されている) 中山雄忠 - 犬山城を守るが池田恒興に攻略される。 土方雄久 - 以後土方氏は「雄」の字を継承。 森雄成(森正成(甚之丞)の長男、通称:久三郎、森氏一族の者か) 森雄秀(森正成の次男、通称:清十郎、森氏一族の者、森正好と同一人物か)
※この「偏諱を与えた人物(家臣)」の解説は、「織田信雄」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物(家臣)」を含む「織田信雄」の記事については、「織田信雄」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 02:30 UTC 版)
足利晴直?(実弟、上杉氏に養子入り後、古河足利家に戻って改名、「晴」字は足利義晴または晴氏から受けたものである) 簗田晴助(家臣、高助の子で晴氏の義弟(正室の弟)にあたる) 結城晴朝(初め小山晴朝)山川晴重 - 晴朝の妻の甥とされ、晴朝の1字を受ける。 結城晴綱(白河結城氏) ※大関晴増?(大関高増の子) ※大田原晴清?(大関高増の甥) ※印の付いた2名は晴氏の死後に生まれており、晴氏から直接「晴」の字を受けていないのは確実である。ただ近親者である大関高増に晴氏の父・高基の偏諱と思われる「高」の字が含まれていることから何かしら関係・影響している疑いが推測されるため、一応掲載してある。今のところ、それに関して言及している史料などはない。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「足利晴氏」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「足利晴氏」の記事については、「足利晴氏」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 05:59 UTC 版)
功績のあった臣や元服する者に自分の名の一字(太字)を与えた。 二条康道(公家・摂関家の二条家) 松平信康(長男) 結城秀康(二男) 松平家元(異母弟?) 松平康元(異父弟) 松平康俊(異父弟、康元の弟) 松平家清 松平家忠(深溝松平家) 松平家忠(家次)(東条松平家) 松平家次(桜井松平家) 松平家乗 松平家広 松平康忠(従弟・義弟) 松平康忠(矢田松平家、松平張忠の嫡男) 松平康親(松井忠次より改名) 松平康次(康重)(康親の子) 松平康長(戸田康長) 松平康安(大草松平家) 天野康景 有馬康純(家康の玄孫にあたる) 石川家成 石川康通(家成の子) 伊丹康直 伊丹康勝(康直の子) 太田康資(側近、のちの資宗) 奥平家昌 松平家治(養子・奥平家昌の実弟) 西郷家員 酒井家次 榊原康政 島津家久(初名:忠恒) 田中康政 最上家親(初名:義親) 最上家信(家親の子・義俊の初名) 本多家忠(本多忠政の別名) 本多康重 牧野康成 来島康親 山内康豊(別名:家豊)? 依田康国(依田信蕃の長男) 依田康勝(依田信蕃の二男、のち加藤康寛と名乗る)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「徳川家康」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「徳川家康」の記事については、「徳川家康」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 00:48 UTC 版)
家茂から偏諱を授けられた大名は、維新後に新政府にはばかって改名(返上)した者が多い。括弧内は改名後の諱。 徳川茂承 - 家茂(慶福)の養子、紀伊藩継嗣。 徳川茂徳(茂栄) 松平茂昭 池田茂政 - 徳川(一橋)慶喜の実弟。 蜂須賀茂韶 - 同年生まれの従弟(父は徳川家斉二十二男・蜂須賀斉裕)。 浅野茂長(長訓) 浅野茂勲(長勲) 上杉茂憲 島津茂久(忠義) 伊達茂村 - 田村通顕より改名。 鍋島茂実(直大)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「徳川家茂」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「徳川家茂」の記事については、「徳川家茂」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/18 02:04 UTC 版)
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「北条時宗」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「北条時宗」の記事については、「北条時宗」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 23:28 UTC 版)
家臣団 大内義豊(大内氏一門、冷泉家より妻を迎える) 大内興豊(冷泉興豊)(義豊の子で隆豊の父、母方の姓により冷泉氏を称す) 飯田興秀 伊田興理(伊田美作守、大内義隆期に奉行人となる) 岩正興致 大村興景 岡部興景(隆景の父) 勝屋興久(相良正任の子で相良武任の実弟) 神保興胤 陶興明 陶興房(興明の弟) 陶興昌(興房の子、隆房(晴賢)の兄) 陶興就(右田弘詮の子で陶隆康の実兄) 杉興長 杉興運(興長の子) 杉興相 高石興幸 問田興之(弘胤の子で隆盛の父) 内藤興盛 仁保興貞(興棟の弟) 仁保興真(隆慰の父) 仁保興奉(興棟の子、隆在の養父) 仁保興棟 沼間興国 野田興方(問田興之の実弟) 原田興種(隆種の父) 弘中興勝(隆包の父) 深野興房 右田興俊(隆次の父) 右田興量(右田氏、興俊と同族) 右田興安(興量の子で隆量(天野元政の養父)の父) 宮川興房(房長の父) 宗像興氏(宗像正氏の従兄弟、船岡山合戦で戦死) 山崎興盛(陶氏家臣) 大和興武 吉田興種(仁保氏庶流、隆在の実父) 鷲頭興盛 安芸国 毛利興元(毛利元就の兄) 天野興次 天野興定(興次の子) 天野興与(興次の子) 小幡興行(安芸小幡氏) 吉川興経 小早川興平 小早川興景 宍戸興家(安芸宍戸氏当主、→宍戸元家の項を参照のこと) 多賀谷興頼 野間興勝(矢野城主、隆実の父) 平賀興貞 藤原興親(→厳島神主家の項を参照のこと) 友田興藤(→厳島神主家の項を参照のこと。興親の従兄弟(おばの子)にあたる。) 出雲国 塩冶興久(尼子経久3男) 石見国 佐波興連 周布興兼 高橋興光 益田興兼(益田宗兼の弟) 三隅興信(益田氏一門) 三隅興兼(興信の子) 吉賀興光 吉見頼興?(吉見氏) 吉見興成(頼興の子、諱は成興とも、義興の娘・大宮姫は興成の弟・隆頼、隆頼の死後はその弟・正頼の妻となる) 肥前国 江上興種(江上氏、武種の父、義興に通じたため主君の少弐氏により勢福寺城を追われる) 千葉興常(九州千葉氏、肥前守護代) 松浦興信 筑前国 麻生興春(麻生氏) 麻生興益 *以上の通り、家臣団のみならず、周辺の各諸侯にも「興」の字を与えており、その隆盛がうかがえる。それは子の義隆の代も続き、一部( )内にみられる通り、息子の多くが義隆より偏諱を受けている(詳しくは大内義隆の偏諱を受けた人物を参照)。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「大内義興」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「大内義興」の記事については、「大内義興」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 04:13 UTC 版)
詮久時代 尼子詮幸(晴久の大叔父・尼子久幸の嫡男、初め経貞) 宍道詮慶(家臣・一門衆、のち大内義隆に属し宍道隆慶に改名) 晴久時代 牛尾久信 江見久盛 立原久綱 三刀屋久扶 森脇久仍 山名久通(因幡守護、初め山名誠通) ※吉田郡山城の戦いで大敗したのち、宍道詮慶(宍道隆慶)のように大内氏側に寝返る者も出てきたため、その後晴久は出雲国内の家臣統制の一環として家臣達に積極的に偏諱を与えている。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「尼子晴久」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「尼子晴久」の記事については、「尼子晴久」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/25 04:52 UTC 版)
氏江方誠(実弟。のち義方の養子となり宗義誠に改名。義方死後に第6代藩主となる。) 樋口方熈(実弟。樋口真連の婿養子となった後に義誠の跡を継いで第7代藩主となる。) 高瀬行方(実弟) 表・話・編・歴 宗氏対馬府中藩5代藩主 (1694年 - 1718年) 宗義智1588-1615 宗義成1615-1657 宗義真1657-1692 宗義倫1692-1694 宗義方1694-1718 宗義誠1718-1730 宗方熈1731-1732 宗義如1732-1752 宗義蕃1752-1762 宗義暢1762-1778 宗義功(兄)1778-1785 宗義功(弟)1785-1812 宗義質1812-1838 宗義章1839-1842 宗義和1842-1862 宗義達1862-1871 廃藩置県
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「宗義方」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「宗義方」の記事については、「宗義方」の概要を参照ください。
偏諱を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 14:54 UTC 版)
遊佐国長 - 家臣・守護代(河内国・越中国)。法名、長護。基国・満家父子に臣従して活動。詳しくはこちらを参照。 遊佐国盛 - 国長の子か。満家の代に守護代を務める。 吉見国頼 - 吉見氏。前述の吉見氏頼の甥にあたる。
※この「偏諱を与えた人物」の解説は、「畠山基国」の解説の一部です。
「偏諱を与えた人物」を含む「畠山基国」の記事については、「畠山基国」の概要を参照ください。
- 偏諱を与えた人物のページへのリンク