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とくがわ-よしのぶ とくがは― 【徳川慶喜】
防府歴史用語辞典 |
近代日本人の肖像 |
徳川慶喜 とくがわ よしのぶ
東京生まれ。江戸幕府第15代将軍。父は水戸藩主徳川斉昭。弘化4年(1847)一橋家を相続。第13代将軍家定の継嗣をめぐり、和歌山藩主徳川慶福を推す井伊直弼と対立。日米修好通商条約調印問題も絡み合い、安政の大獄で謹慎処分を受ける。文久2年(1862)朝命により将軍後見職となり、幕政改革を推進。慶応2年(1866)第15代将軍となる。高知藩の建白により翌年10月、大政奉還を行い、徳川家の復権を図るも、倒幕派に敗れ恭順、謹慎。維新後の明治2年(1869)謹慎を解かれるが駿府に居住。30年(1897)東京に移り、35年(1902)公爵を授けられた。
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
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徳川慶喜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/23 05:54 UTC 版)
徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)は、江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:1867年 ‐ 1868年)。江戸幕府最後の将軍で征夷大将軍に任じられた最後の人物。
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- ^ 第3代・家光以来となる正室を生母とした将軍である。
- ^ 当時は松平昭致(あきむね)と名乗っていた。
- ^ 原文は「骨折れ候故、(中略)天下を取り候て後、仕損じ候よりは、天下を取らざる方、大いに勝るかと存じ奉り候」(家近p.22)。
- ^ 奈良p.238。
- ^ 奈良p.240。
- ^ 家茂が後継に指名した田安亀之助(後の徳川家達)を推す大奥を中心とする反慶喜勢力や慶喜の将軍就任を強硬に反対する水戸藩の動きなど、慶喜に向けられた強い反感が将軍職固辞に大きく関わっていた(家近p.p.113-117)。
- ^ 家近p.116。
- ^ 家近pp.140-141。
- ^ 奈良p.323。
- ^ 家近p.177。
- ^ 後に慶喜は回顧録の中で、「討薩表はあの時分勢いで実はうっちゃらかしておいた」と語っている(『徳川十五代将軍グラフティー』(新人物往来社) P.143)。
- ^ 江戸城に入った慶喜は、鰻の蒲焼を取り寄せるよう奥詰の者に命じ、二分の金を渡したが、時期外れで一両でなければ入手できず、自らの金を加え買い求めた。また慶喜から鮪の刺身を食べたいとの指示があったが、食中毒を恐れて刺身を食膳に上げた例はなく、そのため刺身を味噌漬けにして、あらは葱とともに煮て食膳に供えた。
- ^ 奈良p.323。
- ^ 『徳川十五代将軍グラフティー』(新人物往来社) P.144
- ^ 渋沢栄一『徳川慶喜公伝 第4巻』平凡社〈東洋文庫 107〉、1968年、p416、田中彰『明治維新の敗者と勝者』1980年、日本放送出版協会〈NHKブックス368〉、『人物日本の歴史19』小学館、1974年、『徳川慶喜―将軍家の明治維新(増補版)』9頁
- ^ 松浦玲『坂本龍馬』
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