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とくがわ-つなよし とくがは― 【徳川綱吉】
江戸人物事典 |
徳川 綱吉 (とくがわ つなよし)
| 1646〜1709 (正保3年〜宝永6年) |
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【五代将軍】 五代将軍。評価が分かれる、太平元禄の「犬公方」。 |
| 五代将軍(在職1680〜1709)。家光の4男。館林藩主をへて将軍に就任。大老堀田正俊の補佐のもと文治政治をおこなうが、後に側用人柳沢吉保らを重用。生類憐み政策をとり「犬公方」と呼ばれた。急速に成長する江戸経済と財政悪化に対処するため、質の悪い貨幣を大量に流通させた結果、インフレが起こり治世は乱れたが、反面華やかな元禄文化を生んだ。 |
年(和暦) |
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| ●1651年 (慶安4年) | ■慶安の御触書公布 | 5才 |
| ●1659年 (万治2年) | ■江戸城本丸造営竣工 | 13才 |
| ●1663年 (寛文3年) | ■武家諸法度改定 | 17才 |
| ●1681年 (天和元年) | ■護国寺建立 | 35才 |
| ●1682年 (天和2年) | ■江戸大火(八百屋お七の火事) | 36才 |
| ●1687年 (貞享4年) | ■生類憐みの令 | 41才 |
| ●1698年 (元禄11年) | ■江戸大火(勅額火事) | 52才 |
| ●1702年 (元禄15年) | ■赤穂浪士討ち入り | 56才 |
| ●1703年 (元禄16年) | ■江戸開府100年 | 57才 |
| ●1705年 (宝永2年) | ■御蔭参り流行 | 59才 |
| ●1707年 (宝永4年) | ■富士山噴火 | 61才 |
人物名 |
年齢差 |
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| ・徳川 家綱 | 1641年〜1680年 (寛永18年〜延宝8年) | +5 |
| ・林 鳳岡 | 1644年〜1732年 (正保元年〜享保17年) | +2 |
| ・松尾 芭蕉 | 1644年〜1694年 (正保元年〜元禄7年) | +2 |
| ・西川 如見 | 1648年〜1724年 (慶安元年〜享保9年) | -2 |
ウィキペディア |
徳川綱吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/04 07:31 UTC 版)
徳川 綱吉(とくがわ つなよし)は、江戸幕府の第5代将軍である。3代将軍・家光の四男、幼名は徳松。母は桂昌院(玉)。正室は鷹司教平の娘信子。側室に瑞春院(伝)、寿光院、清心院。
お手つきに牧野成貞の妻の阿久里とその娘の安などがいたという俗説もあるが、後世の創作と考えられる。子は、徳川徳松、鶴姫。俗に、柳沢吉里が綱吉の落胤であるといわれるが、実際には疑わしい。
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- ^ 第7回「麻疹(はしか)」 -天然痘と並ぶ2大感染症だった 加藤茂孝 (PDF) モダンメディア 2010年7月号(第56巻7号)
- ^ 「徳川実記」「折たく柴の記」によれば、家宣が廃止すると宣言し、柳沢吉保も廃止に賛同したとある。が、『楽只堂年録』によれば、家宣は「いずれもあひ守り、断絶なきやうにすべし」としながらも、罰則を無くして罪人が出たり経済的負担が増えたりしないようにした、とある。どちらも事実上は廃止であるが、前者と後者では家宣および幕府のとった行動の意味がかなり異なってくる。『黄門さまと犬公方』山室恭子
- ^ 鈴木一夫「水戸黄門 - 江戸のマルチ人間・徳川光圀」など。
- ^ a b c d e f g 表章、天野文雄『岩波講座 能・狂言 Ⅰ 能楽の歴史』(1987年、岩波書店)
- ^ 冷泉為人他「瑞穂の国・日本─四季耕作図の世界」1996年 P74~77
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