あしかが‐よしまさ【足利義政】
足利義政
足利義政
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足利 義政は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代征夷大将軍[2](在職:文安6年4月29日(1449年5月21日) - 文明5年12月19日(1474年1月7日))。
注釈
- ^ この肖像は、江戸時代後期から足利義政像とされてきたが、この肖像画の人物が義政であるという確証はない。実際この画中にて、像主の家紋を入れる故実(大和絵肖像画上のルール)がある襖の縁、鏡台の蒔絵、指貫などの装束に「左三つ巴」紋が散りばめられている。足利家の紋は桐紋で、他の足利家の肖像画でもそのように描かれるのが通例なため、この伝足利義政像の像主は足利家の人物(それも当主の義政)とするには疑問が残る。そこで、左三つ巴紋は西園寺家庶流の家紋であり、画中に親王か大臣以上が用いる大紋縁の畳が描かれていることから、家紋は不明だが大臣を輩出する洞院家の誰か、特に東山左大臣と呼ばれた洞院実熙の可能性が高い。この肖像が画中の家紋を無視して義政像とされてきた理由は、本来の表具や箱などに記されていたと思われる「東山左大臣」を、義政の称号「東山殿」と混同し、「東山左大臣」の表記が失われた後も義政像という伝承だけは残ったためだと推定する説がある[1]。
- ^ 政知は庶子であったため、初めは出家して「清久(せいきゅう)」を名乗っていたが、還俗の際(義政が改名して後の長禄元年(1457年))に義政から偏諱の授与を受けて「政知」に改名。(庶子であるがゆえに実際は弟として扱われていたのだろうが)兄が弟から偏諱の授与を受けるのは極めて珍しいことである。
- ^ 義政最晩年の命名で、本来なら次代の義尚から偏諱の授与を受けるところだが、義尚は直前に亡くなっていた。
出典
- ^ 落合謙暁「土佐家伝来の伝足利義政像について」『日本歴史』772号、吉川弘文館、2012年。
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 34頁。
- ^ a b c 家永遵嗣 2014, p. 6.
- ^ a b c 石田 2008, p. 114.
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 294-296.
- ^ 森田(1993)40頁
- ^ ジョアン・ロドリゲス著、池上岑夫訳『日本語小文典(下)』岩波書店、1993年、126-127頁、尾脇秀和『氏名の誕生 江戸時代の名前はなぜ消えたのか』筑摩書房、2021年、291-292頁
- ^ 上島有『日本文書学論集8中世IV』吉川弘文館、1987年、8頁以下
- ^ 後藤みち子『戦国を生きた公家の妻たち』吉川弘文館、2009年、138-139頁
- ^ a b c d 榎原 & 清水 2017, p. 205.
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 236,284.
- ^ a b c 石原比伊呂「義政期の将軍家と天皇家」『室町時代の将軍家と天皇家』勉誠出版、2015年。ISBN 978-4-585-22129-6。
- ^ 榎原 & 清水 2017, pp. 205–206.
- ^ a b c d 榎原 & 清水 2017, p. 207.
- ^ a b c 桜井英治, p. 273.
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- ^ a b 桜井英治, p. 276.
- ^ 百瀬今朝雄「応仁・文明の乱」(『岩波講座日本歴史 第7巻』、1976年)
- ^ 桜井英治, p. 274.
- ^ a b c 榎原 & 清水 2017, p. 208.
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- ^ 新谷和之「南北朝・室町期における六角氏の家督と文書発給」川岡勉 編『中世後期の守護と文書システム』思文閣出版、2022年、P73-75.
- ^ 桜井英治, p. 284.
- ^ a b 石田 2008, p. 152.
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 285.
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 285-286.
- ^ 桃崎 & 山田 2016, 田坂泰之「室町期京都の都市空間と幕府」.
- ^ a b c 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 288.
- ^ 早島大祐 1999, p. 63-64.
- ^ a b 桜井英治, p. 293.
- ^ a b 呉座勇一 2016, p. 71.
- ^ a b c 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 290.
- ^ 家永遵嗣 2014, p. 9.
- ^ 宮本義己「室町幕府と琉球使節―琉球船貢物点検問題の実相とその意義―」『南島史学』45号、1995年。
- ^ 家永遵嗣 2014, p. 27.
- ^ 家永遵嗣 2014, p. 22.
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 291.
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 291-292.
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 292.
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 293.
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 293-294.
- ^ 木下昌規 2009, p. 6.
- ^ 桜井英治, p. 392.
- ^ 桜井英治, p. 330.
- ^ a b c d 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 294.
- ^ 臼井信義「小川御所」『国史大辞典』第2巻
- ^ 『大乗院寺社雑事記』文明14年7月25日条
- ^ 『親長卿記』文明15年6月27日条・『後法興院政家記』文明15年6月28日条
- ^ a b 桃崎 & 山田 2016, 野田泰三「東山殿足利義政の政治的位置付けをめぐって」
- ^ a b 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 295.
- ^ 『蔭涼軒日録』長享元年10月3日条
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 320.
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 303-304.
- ^ 室町幕府全将軍・管領列伝 2018, p. 304.
- ^ 永井 1999, p. 135-136.
- ^ 永井 1999, p. 136.
- ^ 永井 1999, p. 134.
- ^ 永井 1999, p. 138.
- ^ 武家家伝_金山氏 と こちらのページ より。
- ^ a b c d e 末柄豊「『宣秀卿御教書案』にみる武家の官位について」『室町・戦国期の符案に関する基礎的研究』〈科学研究費補助金(基盤研究C)研究成果報告書〉2006年3月 。
足利義政
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義尚の父。東山殿に住む。息子亡き後、悲しみに打ちひしがれて衰弱し狂気の兆候が出る。ある日部屋に入ってきた草色の苔むした大亀の澄んだ眼が忘れられなくなり、それを飼う。精霊の世界に心惹かれてゆく。
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足利義政
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前将軍。直接登場しているわけではないが、騒動の発端となった東山殿の普請を考えた人物。東山文化を担った人物には間違いないが、この作品の中では、御庭造りに異常な関心を持っている人物として一休には扱われている。
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