こう‐ぎょう〔‐ギヤウ〕【興行】
興行
興行(第1作)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 17:27 UTC 版)
「プロゴルファー織部金次郎」の記事における「興行(第1作)」の解説
当初の予定は『落陽』に続いて1992年10月下旬以降、渋谷東急系で公開が決まっていた。渋谷東急を運営する東急レクリエーション(東レク)の社長は、東映社長を兼ねる岡田茂で、特に問題はなかったが、岡田が映画公開前に映画をWOWOWでの放映を決めたため紛糾した。新たな手法として、3分の2に短縮したバージョンを特別試写会という形で衛星放送の特別版として流し、関心を高めてもらい劇場での観客増加に結び付けたいという狙いだった。劇場公開映画が短縮版とはいえ、先にテレビで放映されるケースは初めてであり、通常は劇場で行う試写会をテレビで行うというのも初めての試みだった。 当時松竹の奥山和由が『外科室』を1000円興行で成功させたり、フジテレビと組んで一つのストーリーをテレビドラマ2本と映画一本で完結させるという『パ★テ★オ』など、新しい試みを行っていたことに刺激を受けたものだったが、当時のビデオリリースは映画公開半年後、テレビ放映は1年後が紳士協定として定着していたため、全国興行生活衛生同業組合連合会(全興連)が東映に放映中止を求めて抗議し、「オリキン事件」として業界を揺るがした。 WOWOWは1991年4月に有料放送を開始し、洋画を中心に営業を展開していたが、邦画の放送を求める声が多かったことから話がまとまったもので、岡田茂は映連の会長他、業界の多くの団体のトップを務める"ドン"でもあり、結局1992年10月4日午後10時15分に予定通りWOWOWで無料放送された。試写会や封切り初日の舞台挨拶を真似て、放映に先立つ15分前に武田鉄矢と財前直見がテレビに出演し、舞台挨拶のような映画の内容を紹介した。 テレビ放映が決まったのが公開が迫った時期で、製作や協賛の各社が前売り券などパブリシティで動いていて、興行者の反撥を考慮し、公開時期としては秋よりよい1993年の正月第2弾に公開延期した。本作の代わりの東レク枠は、『完全版ブレードランナー/ディレクターズ・カット』が埋めた。
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興行
「興行」の例文・使い方・用例・文例
- 興行収入
- 私は昼興行のチケットを持っている。
- 地方興行に行く
- その映画は特別独占興行として公開された。
- 興行収入10億円以上の映画
- たとえその興行がうまくいくとしても、その計画をやめることを主張します。
- それは大成功で長期興行になった。
- 興行価値.
- さよなら興行.
- 2回目の興行は 6 時に始まる.
- 長期興行.
- ロンドンで興行する.
- その芝居はロングラン[11 年の長期興行]だった.
- (興行などの)大成功.
- 興行は[万事]うまくいった.
- 彼は祭りの人出を当て込んで見世物を興行した.
- これは明治座 4 月興行のために特に書き下ろしたものだ.
- その芝居は 20 日間興行された.
- その劇の上演に当たって劇場主はまず第一に興行成績を心配した.
- 興行成績は上乗だった.
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