おわりとくがわ‐け〔をはりトクがは‐〕【尾張徳川家】
読み方:おわりとくがわけ
⇒尾州家
尾張徳川家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 08:20 UTC 版)
尾張徳川家(おわりとくがわけ)もしくは尾州徳川家(びしゅうとくがわけ)は、徳川将軍家の分家である御三家の筆頭であり、江戸時代には名古屋藩主を世襲し、諸大名の中で最高の格式(家格)を有したが、当主から将軍はでなかった。尾張大納言家、単に尾張家、尾州家とも言った。明治維新後には華族の侯爵家に列した[2]。
- ^ 「紋章・マーク・シンボル」野ばら社。
- ^ 小田部雄次 2006, p. 323.
- ^ 他家へ養子入りした男系子孫までたどると、8代藩主宗勝の子で尾張藩付家老竹腰氏へ養子に入った竹腰勝起を経て高岡藩井上氏、櫛羅藩永井氏へと血統が連なり、永井氏の血統は現在も存続している。
- ^ 斉朝は母方の高祖母が4代吉通の長女信受院であるため、義直の血を引いている。
- ^ もっとも、前述の通り高須松平家でも義直の男系子孫は断絶しており、慶勝の祖父の9代高須藩主松平義和は水戸徳川家出身である。
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『尾張藩』 - コトバンク
- ^ 新田完三 1984, p. 619.
- ^ “八ヶ岳高原ヒュッテ”. 八ヶ岳高原ロッジ. 2023年6月7日閲覧。
- ^ a b 小田部 1988, pp. 39–41.
- ^ 薩摩島津家、加賀前田家、長門毛利家、肥後細川家に次ぐ第5位の高禄だった(小田部 1988, p. 39)
- ^ 小田部 (1988, pp. 39–41)。1898(明治31)年当時、尾張徳川家の所得は約11万6千円で、所得番付の12位、華族の中で第7位だった(同)。なお、財務収支の改善は1890年から同家の御相談人となった加藤高明によるところが大きく、それ以前は収支がトントンだったが、加藤によって収支が大幅に改善し、資産が3倍-10倍になった、とされている(小田部 1988, pp. 42–43)。
- ^ 小田部雄次 2006, p. 344.
- ^ 香山 2015, p. 30.
- ^ 香山 2014, pp. 17–18, 28.
- ^ 麻布区富士見町、1932年から豊島区目白(香山 2016, pp. 124–125)
- ^ 香山 2015, pp. 3, 27–28, 30–32.
- ^ 香山 2015, p. 36.
- ^ 香山 2016, p. 121.
- ^ a b 小田部 1988, pp. 209–210.
- ^ 徳川 1963, p. 146.
- ^ 徳川 1963, pp. 110, 146.
- ^ a b 小田部 1988, p. 209.
- ^ 科学朝日 著、科学朝日 編『殿様生物学の系譜』朝日新聞社、1991年、200頁。ISBN 4022595213。
- ^ 中村, 輝子、増田, 芳雄「山口清三郎博士の戦中日記」『人間環境科学』第5巻、帝塚山大学、1996年、89頁、NAID 110000481506。
- ^ 小田部 1988, p. 29.
- ^ 徳川黎明会 (2016b). “公益財団法人徳川黎明会”. 公益財団法人徳川黎明会(総務部). 2016年9月29日閲覧。
- ^ 八雲産業 (2016年). “Tokugawa dormitory トップページ > 徳川ドーミトリーとは”. YAKUMO SANGYO CO.,LTD.. 2016年10月27日閲覧。
- ^ 八雲産業 (2015年). “Tokugawa Village トップページ > 徳川ビレッジとは”. Yakumo Sangyo Co., Ltd.. 2016年10月27日閲覧。
- ^ 小田部 1988, pp. 40–41.
- ^ 八雲産業 2016.
- ^ 徳川黎明会 (4 July 2016). 平成27年度事業報告書 (PDF) (Report). 公益財団法人徳川黎明会. 2016年9月29日閲覧。
- ^ 徳川 1963, p. 148.
- ^ a b c d e f g h 小田部 1988, p. 42.
- ^ a b c d e 香山 2014, pp. 2–3.
- ^ a b 香山 2016, p. 104.
- ^ a b 小田部 1988, pp. 42–43.
- ^ a b 香山 2016, p. 122.
- ^ 香山 2015, p. 27.
- ^ 香山 2014, pp. 2–3, 25.
- ^ a b c d 香山 2015, p. 1.
- ^ a b 香山 2015, p. 33.
- ^ a b 香山 2014, p. 3.
- ^ 香山 2016, p. 103.
尾張徳川家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/11/03 03:28 UTC 版)
徳川義直(とくがわ よしなお) (五郎太丸→義利→徳川義利→徳川義直) 演:赤羽秀之(幼・少年期:柿沢俊太→神木隆之介→木崎大輔→碓氷和憲) 家康の九男。母は、お亀の方。 春姫(はるひめ) 演:中田あすみ 義直正室。浅野幸長の娘。 五郎八丸(ごろはちまる) 演:伊藤公紀 義直の長男。
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尾張徳川家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/07 13:49 UTC 版)
「骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと」の記事における「尾張徳川家」の解説
徳川慶勝 :尾張藩14代・17代藩主。1824-1883年。 徳川義宜 :尾張藩16代藩主。1858-1875年。
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尾張徳川家
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徳川義直(とくがわ よしなお) (五郎太丸→義利→徳川義利→徳川義直) 演:赤羽秀之(幼・少年期:柿沢俊太→神木隆之介→木崎大輔→碓氷和憲) 家康の九男。母は、お亀の方。 春姫(はるひめ) 演:中田あすみ 義直正室。浅野幸長の娘。 五郎八丸(ごろはちまる) 演:伊藤公紀 義直の長男。
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