尾張徳川家所有以降とは? わかりやすく解説

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尾張徳川家所有以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 05:21 UTC 版)

本作長義」の記事における「尾張徳川家所有以降」の解説

長尾家没落以降伝来不詳であるが、1681年延宝9年6月尾張藩3代藩主である徳川綱誠購入し以後尾張徳川家伝来している。本作白鞘の鞘書には「仁壱ノ七拾九 備前国長義刀 磨上無銘長弐尺三寸六分 延宝三乙折紙 代金拾五」とあり、刀の鑑定を行う本阿弥家12当主である本阿弥光常によって金15極められ折紙附属している。鞘書きの「仁」は尾張徳川門外不出刀剣であることを示す帳(刀剣管理台帳)の分類であるが、「仁」の分類格上げとなったのは1872年明治5年)のことであり、それまでは「禮」の当主差料としての扱いであった。しかし拵え制作されていないことから、尾張徳川家所有になったあと実際に佩刀された可能性は低い。 明治維新後も尾張徳川家伝来し1949年昭和24年2月18日尾張徳川黎明会所有名義重要文化財指定された。なお本作写し一つである山姥切国広1962年昭和37年6月21日重要文化財指定されており、2020年令和2年)現在、刀剣において本歌と写しが共に重要文化財である唯一の事例となっている。

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尾張徳川家所有以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 16:48 UTC 版)

津田遠江長光」の記事における「尾張徳川家所有以降」の解説

1709年宝永6年)5月23日には、尾張徳川家4代藩主である吉通が自国領地である名古屋への帰国挨拶を行うため江戸城登城した際に、その帰国祝いとして第6代将軍家宣から拝領した以降明治維新後まで尾張徳川家伝来した1941年昭和16年9月24日付け徳川黎明会所有名義にて重要美術品認定される1953年昭和28年11月14日には重要文化財指定され1954年昭和29年3月20日には国宝指定される指定名称は「太刀 銘長光名物遠江長光)」。2000年時点での所有者東京都豊島区徳川黎明会で、所蔵者は同法人が運営する愛知県名古屋市徳川美術館である。

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