尾張徳川家連枝とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 尾張徳川家連枝の意味・解説 

尾張徳川家連枝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/13 13:33 UTC 版)

梁川藩」の記事における「尾張徳川家連枝」の解説

幕府直轄領となった梁川は、その後天和3年1683年尾張藩2代藩主徳川光友三男松平義昌が入封し、3万石にて立藩した。分家理由尾張藩血脈断絶恐れたためであり、同時期、同様の理由尾張藩四谷家(高須藩)、川田久保家分家させている。梁川立藩は、有力な外様である伊達家へのとなる親藩求め幕府思惑とも一致していた。享保14年1729年5月3代義真卒去し、無嗣子のため廃絶となった同年9月尾張藩3代藩主徳川綱誠十九男の松平通春(後の徳川宗春)に改めて3万石与えられたものの、翌享保15年1730年)に世継残さないまま尾張藩主徳川継友死亡し、通春が尾張藩相続したため、一時廃藩となった宗家断絶防止するという役目果たしての廃藩であった

※この「尾張徳川家連枝」の解説は、「梁川藩」の解説の一部です。
「尾張徳川家連枝」を含む「梁川藩」の記事については、「梁川藩」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「尾張徳川家連枝」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「尾張徳川家連枝」の関連用語

1
10% |||||

2
6% |||||

尾張徳川家連枝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



尾張徳川家連枝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの梁川藩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS