尾張徳川家指南としてとは? わかりやすく解説

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尾張徳川家指南として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 07:49 UTC 版)

柳生利厳」の記事における「尾張徳川家指南として」の解説

元和元年1615年36歳の時、尾張藩御附家老成瀬隼人正の推挙受けて徳川家康の子義直兵法師範として500石で仕える。 尾張柳生家伝承によると推挙受けた家康は、利厳を駿府招聘して直々に対面した上で義直師範となるよう要請したといい、これを受けて利厳は「江戸但馬叔父・宗矩)とこと違い諸役御奉公一切御免蒙り、替え一頭もひける身分ならでは、御仕官の儀は堅く御免蒙りとう存じます。」との条件示し家康はこれらを認めて義直兵法師範としたという。 尾張藩仕えて5年後元和6年1620年)、義直新陰流剣術および新当流長刀印可授与する。この時利厳は自己一代工夫考案書である『始終不捨書』奥書印可添え自身祖父と師・棒庵から受け継いだ印可状伝書目録大太刀一切と共に義直進上した。また後に流儀後継者となる次男・厳包が印可を相受ける際には、義直から相伝を受ける形式取らせたことで、流派継承代々尾張藩主柳生家協力の元で行うことが慣例となり、尾張藩御流儀としての新陰流地位不動のものとなった

※この「尾張徳川家指南として」の解説は、「柳生利厳」の解説の一部です。
「尾張徳川家指南として」を含む「柳生利厳」の記事については、「柳生利厳」の概要を参照ください。

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