赤松義村とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 赤松義村の意味・解説 

赤松義村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 15:38 UTC 版)

赤松 義村(あかまつ よしむら)は、戦国時代前期(室町時代後期)の播磨守護大名戦国大名赤松家の第10代当主(当主在職:明応4年(1496年4月 - 永正17年(1520年)11月)。


注釈

  1. ^ 庶子赤松村秀がいたが死去の際は4歳であり、生まれてすぐに政則は宇野政秀に託していることから跡継ぎとはしていなかったようである[3]
  2. ^ 東寺文書』では播州東西取合合戦と記録している[6]
  3. ^ 村宗が義村の養母である洞松院に圧力をかけて義村廃立を迫り、洞松院の命令によって隠居させられたという[11]

出典

  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 15頁。
  2. ^ a b 渡邊 2012, p. 292.
  3. ^ 高坂 1970, p. 306.
  4. ^ 高坂 1970, pp. 275, 306.
  5. ^ 高坂 1970, pp. 276, 306.
  6. ^ 高坂 1970, p. 276.
  7. ^ 長江 1989, p. 24.
  8. ^ 続群書類従第23輯下武家部 昭和50年4月15日訂正3版 286頁。
  9. ^ 長江 1989, p. 25.
  10. ^ 高坂 1970, p. 277.


「赤松義村」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「赤松義村」の関連用語

赤松義村のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



赤松義村のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの赤松義村 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS