播磨国とは? わかりやすく解説

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はりま‐の‐くに【播磨国】

読み方:はりまのくに

播磨


播磨国

読み方:ハリマノクニ(harimanokuni)

旧国名現在の兵庫県西部


播磨国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/09 06:11 UTC 版)

播磨国(はりまのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陽道に属する。




「播磨国」の続きの解説一覧

播磨国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 09:28 UTC 版)

旗本札」の記事における「播磨国」の解説

播磨国では、藩札旗本札寺社町村私人など、きわめて多様な発行確認されている。播磨国は全国でも有数穀倉地帯で、畿内諸国同様に商品作物栽培が盛んであり、人口多く姫路藩明石藩赤穂藩などがまとまった所領有するほかは典型的な非領国地域であった。播磨国のほぼ中央部位置する姫路藩木綿専売などで周辺経済大きな影響力有していたが、周辺地域経済は、西国街道美作因幡街道などの街道や、加古川市川揖保川などの舟運といった物流経路依存する形で、それぞれ緩やかな小経地域形成していた。旗本札発行形態図柄も、それぞれの地域影響が強い。 播磨国の藩札旗本札特徴としては銭匁広く発行されている点が挙げられる。銭匁とは、額面表記は銀の単位である匁・分・厘であるが、一定の銀-銭相場に従って銭で兌換することが明記されたものである備中国永銭勘定九州北部四国西部の銭匁などと並んで江戸時代貨幣経済システムを語る場合興味深い商習慣である。 揖東郡新宮池田氏は、もと東本願寺執事であった下間氏一族である。執事相続の際の内紛原因で、舅であった姫路藩池田輝政家臣となり、更に池田姓を名乗ることを許され新宮藩創設した。のちに無嗣改易となるところを、本家岡山藩主鳥取藩主家の奔走によって、減知の上旗本としての存続許された。陣屋は、新宮藩当時から引き続いて新宮(現・たつの市新宮町新宮)に置かれた。美作街道姫路城城下町のやや西で西国街道山陽道)から分岐し北西伸びて美作国津山城下に達するが、新宮の町は美作街道水運が盛んであった揖保川とが接近する位置にある。新宮池田氏銀札及び銭匁発行した美作街道を更に下ると、佐用郡平福(現・佐用郡佐用町平福)、佐用郡長谷(現・佐用郡佐用町口長谷)、佐用郡佐用(現・佐用郡佐用町佐用)の松井松平氏3旗本知行地がある。これらの家は、いずれも山崎藩主の松井松平氏から、佐用郡内の所領同時に分知されて旗本家として成立した同族である。佐用美作街道宿駅で、更に佐用からは北に因幡街道分岐する因幡街道次の宿駅平福で、長谷平福のやや南に位置するまた、これらの陣屋近傍には千種川水系水運利用されていた。地理的にも近い3家であるが、いずれも独自に紙幣発行した赤穂郡若狭野(現・相生市若狭野町若狭野)の浅野氏知行地千種川下流近傍位置する赤穂事件著名な赤穂藩浅野家分家で、本家改易となって赤穂藩永井氏、更に森氏支配となっても、赤穂藩領が大部分占め赤穂郡只中所領有した。この若狭浅野氏大坂両替商天王寺屋などが引請人となった銀札、銭匁発行した若狭野の陣屋跡地には紙幣関係業務行った役所建物現存している。 播磨国東部加東郡家原(現・加東市家原)の浅野氏また、赤穂藩主家分家である。また、赤穂藩浅野氏居城存在した赤穂郡の他に、加東郡にも領地有し加東郡穂積(現・加東市穂積)に飛地陣屋置いていたが、赤穂事件に伴う赤穂藩浅野氏改易後幕府に公収され、のちに穂積を含む々が旗本八木氏知行地となった八木氏はこの浅野氏穂積陣屋利用して采地陣屋とした。なお、八木氏は、のちに戦国大名となった朝倉氏から鎌倉時代分かれた支族で、織田氏但馬国侵攻の際には八木城であったが、織田氏毛利氏との衝突により采地失い、のちに関ヶ原の戦いでの戦功によって徳川家旗本として取り立てられた家である。家原加古川支流千鳥川近傍穂積千鳥川加古川合流地点付近に位置する家原浅野氏及び穂積八木氏は、それぞれ銀札及び銭匁発行した美嚢郡高木(現・三木市別所町高木)の一柳氏は、伊予西条藩主家改易となり、のち許され旗本として取り立てられるにあたり高木中心とした々に知行与えられた。高木別所氏が拠った三木城城下町で、豊臣秀吉免税地したため金物の町として発展した三木町近隣位置し、少し北には加古川支流である美嚢川西行している。美嚢郡木綿生産地であり、高木一氏は木綿切手形式紙幣発行した神東郡福本現・神崎郡神河町福本)の池田氏は、鳥取藩支藩として立藩したが、のちに分家創設した際に1万石を割ったために交代寄合御礼衆の旗本となった福本池田氏及びその分家2家(屋形池田氏吉冨池田氏)の所領は、市川の上流域に当たる神東郡及び神西郡北部占め福本市川東岸近傍にあった幕末鳥取藩から蔵米支給受けて再度立藩したが、福本池田氏旗本であった文政5年1822年)及び立藩後の明治初年銀札及び銭匁発行した

※この「播磨国」の解説は、「旗本札」の解説の一部です。
「播磨国」を含む「旗本札」の記事については、「旗本札」の概要を参照ください。

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播磨国

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 08:57 UTC 版)

固有名詞

はりまのくに

  1. 日本旧国令制国)のひとつ。現在兵庫県南西部にあたる。

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