さいぎょう〔サイギヤウ〕【西行】
さいぎょう 【西行】
西行
西行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 02:26 UTC 版)
西行(さいぎょう、元永元年〈1118年〉 - 文治6年2月16日〈1190年3月23日〉)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、僧侶、歌人。西行法師と呼ばれ、俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)[1]。憲清、則清、範清とも記される。西行は号であり僧名は円位[1]。後に大本房、大宝房、大法房とも称す。
注釈
- ^ 河南町弘川(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。西行の墓と伝えられる「西行墳」も区域内(弘川寺境内)にある。
- ^ 竜池山 弘川寺(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。
- ^ 鴫立沢(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色でスポット表示される。画面を拡大すれば近くにある鴫立庵もスポット表示される。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 植村雅史「中古末法期から紐解く現代社会の死生観序説(上) : 隠遁者西行,その生涯からみる死生観」『駿河台大学論叢』第48号、駿河台大学、2014年、105-132頁、doi:10.15004/00000075、ISSN 0914-9104、NAID 110009872013、2021年7月1日閲覧。
- ^ a b “生誕900年 西行展/理想移す多彩な肖像/歌と旅の生涯 ルーツの和歌山で”. 毎日新聞 東京夕刊: p. 6面. (2018年11月12日)
- ^ a b c d e 植村雅史「中古末法期から紐解く現代社会の死生観序説(下) : 隠遁者西行,その生涯からみる死生観」『駿河台大学論叢』第49号、2015年1月、43頁、doi:10.15004/00001313、NAID 120005578382、2021年7月1日閲覧。
- ^ “「わかやま何でも帳」を活用するために”. 和歌山県. 2020年11月8日閲覧。
- ^ 小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』、小学館『精選版 日本国語大辞典』. “鴫立沢”. コトバンク. 2019年7月6日閲覧。
- ^ 『東海道鉄道遊賞旅行案内』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “鴫立庵”. 大磯町 (2018年). 2019年7月27日閲覧。
- ^ 小松和彦『異界と日本人 絵物語の想像力』角川選書、2003年
- ^ 初田亨『職人たちの西洋建築』(ちくま学芸文庫、2002年)pp157-158。
西行(さいぎょう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 22:08 UTC 版)
「妖狐伝義経千本桜」の記事における「西行(さいぎょう)」の解説
僧侶・歌人である老人。そして吉野宗徒らを薙ぎ倒す強さを兼ね備える。3巻収録の描き下ろし外伝「天の鞠」にも登場。詳しい心情が読み取れる。
※この「西行(さいぎょう)」の解説は、「妖狐伝義経千本桜」の解説の一部です。
「西行(さいぎょう)」を含む「妖狐伝義経千本桜」の記事については、「妖狐伝義経千本桜」の概要を参照ください。
西行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:00 UTC 版)
数多くの和歌を遺したことで知られ る平安時代の歌人。俗名は佐藤義清で、元々は武士として公家に仕えていたが、23歳で出家すると日本各地を放浪、二千余首の和歌を詠んだ。特に桜と月について詠んだ和歌が多く、自身が編纂した『山家集』には百首以上も取り扱われている。西行の歌は広く親しまれ、その歌札も各地に散らばっている。
※この「西行」の解説は、「仁王2」の解説の一部です。
「西行」を含む「仁王2」の記事については、「仁王2」の概要を参照ください。
「西行」の例文・使い方・用例・文例
固有名詞の分類
品詞の分類
- >> 「西行」を含む用語の索引
- 西行のページへのリンク