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大磯町
大磯町
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大磯町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/09/02 03:42 UTC 版)
| おおいそまち 大磯町 |
|
|---|---|
| 国 | |
| 地方 | 関東地方 |
| 都道府県 | 神奈川県 |
| 郡 | 中郡 |
| 団体コード | 14341-3 |
| 面積 | 17.18km² (境界未定部分あり) |
| 総人口 | 32,982人 (推計人口、2011年8月1日) |
| 人口密度 | 1,920人/km² |
| 隣接自治体 | 平塚市、中郡二宮町 |
| 町の木 | クロマツ・サザンカ |
| 町の花 | ハマヒルガオ |
| 町の鳥 | カモメ・アオバト(2010年追加登録) |
| 大磯町役場 | |
| 所在地 | 〒255-8555 神奈川県中郡大磯町東小磯183番地 |
| 外部リンク | 大磯町公式ウェブサイト |
| 特記事項 | 市外局番(0463) 湘南平が平塚市との境界未定 |
| ウィキプロジェクト | |
大磯町(おおいそまち)は、神奈川県の南部に位置する町である。神奈川県庁の定める区分では湘南地域に属する。
目次 |
地理
南は相模湾に面した遠浅の海で、小漁港と砂浜になっている。町の東西を東海道が貫通し、町域を南北に二分している。北東部には高麗山、北西部には鷹取山という小丘陵があり、大磯丘陵(大磯地塊)とよばれる。町域面積の6割を占める丘陵地帯は西へつづき、小田原市にまで至る。河川は西部の葛川水系のものと、高麗山の麓から流れる血洗川が相模湾に注いでいる。1960年代以降、道路網の整備が進み、国道1号(東海道)などのバイパスとして小田原厚木道路、西湘バイパスが建設され、それぞれ町の北部と南部を横断している。
歴史
- 古代は、豪族である師長国造の支配領域であったが、律令体制の整備に伴い相武国造の支配領域と併せ相模国が形成された際に余綾郡に属すことになった。大住郡との境界にあたる町東部には高句麗(現在の中国東北部から朝鮮半島北部にわたる地域に存在した古代国家)からの渡来人が移り住んだという歴史があり、高麗山や高来神社の名称は彼らに由来するとされる。
- 中世には相模国の国府が置かれていたこともある。
- 江戸時代には東海道の宿場町として栄えた。
- 近代以降は、温暖な気候により保養地として注目され、ドイツ人医師ベルツにより紹介されていた海水浴を普及させるための適地を探していた陸軍軍医総監松本順により海水浴場として開かれた。なおこの海水浴場を日本の海水浴の発祥とする説もある(沙美(岡山県)、二見浦(三重県)など、発祥とされる場所は他にも存在する)
別荘地
山縣有朋や西園寺公望、大隈重信、陸奥宗光、岩崎弥之助、安田善次郎といった政財界要人の別荘が多く建てられた。1907年(明治40年)頃の大磯には150戸以上の別荘があったといわれる。
また、吉田茂の場合は首相退陣後は大磯にて隠棲生活を送ったが、晩年も政界への影響力を保持していた為、「大磯」は吉田茂を示す別称(政界用語)でもあった。
- 現在は、企業の保養所や研修所として利用されている所が多く、一般に公開されているのはごく一部である。旧伊藤博文邸(滄浪閣)は西武から新たな企業に売却された。旧吉田茂邸は神奈川県と大磯町が県立公園化に向け西武と交渉していたが、失火により全焼。ほかにも歴史的価値のある別荘の多くはマンション建設や宅地分譲などで姿を消しつつある。
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- 1 大磯町の概要
- 2 人口
- 3 姉妹都市・提携都市
- 4 出身有名人
固有名詞の分類
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