西国街道とは? わかりやすく解説

西国街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/06 08:41 UTC 版)

西国街道(さいごく〈さいこく・せいごく・せいこく〉かいどう)は、江戸時代における街道の1つであり、近世山陽道の別名である。京都から下関、あるいは九州の太宰府までの経路で[1][注 1]律令時代に大路として整備された「山陽道」とほぼ一致する[2][3]


注釈

  1. ^ 長崎までともされる。
  2. ^ 大坂 - 西宮を結ぶ街道(浜街道)も中国街道・中国路とも呼ばれる。
  3. ^ 西宮 - 下関間、もしくは山陽道全体を中国街道と呼称することもある。
  4. ^ 資料により32kmとするものもある。
  5. ^ 杣谷登山口と森林植物園東口の間を、山と高原地図より距離測定。

出典

  1. ^ a b c 梶本 (2003)、2頁
  2. ^ 関西歴史散歩の会 (2005)、7-8頁
  3. ^ a b c 兵庫県教育委員会 (2006)、263頁
  4. ^ 関西歴史散歩の会 (2005)、5頁
  5. ^ a b c 竹内 (2006)、176頁
  6. ^ 松村明監修『大辞泉』小学館(1998年)
  7. ^ 関西歴史散歩の会 (2005)、18-20頁
  8. ^ a b 梶本 (2003)、3頁
  9. ^ 竹内 (2006)、176-177頁
  10. ^ 竹内 (2006)、174頁
  11. ^ 新村出監修『広辞苑』岩波書店(1998年)
  12. ^ 橘川 (1994)、28-29頁
  13. ^ 橘川 (1994)、56頁
  14. ^ 橘川 (1994)、36頁
  15. ^ 神戸新聞社編『兵庫の街道』神戸新聞総合出版(1974年)
  16. ^ 岡山県教育委員会 1993, p. 61.
  17. ^ 花田一重 1951, p. 72.
  18. ^ 岡道夫 1927, p. 139.
  19. ^ 幕末の不運「徳川道」”. 本高砂屋. 2018年4月1日閲覧。
  20. ^ みち”. 神戸市灘区役所. 2018年4月1日閲覧。
  21. ^ 一坂太郎「神戸開港について」『海事博物館研究年報』第36巻、2008年3月、7-8頁、hdl:20.500.14094/810057992023年1月23日閲覧 
  22. ^ 徳川道起点の案内看板 - 御影石町3丁目”. 神戸市灘区役所. 2018年4月1日閲覧。
  23. ^ a b c d e f g h 近世の山陽道~庶民も歩いた物見遊山の道~”. 姫路市. 2023年5月20日閲覧。
  24. ^ 兵庫津繁栄の時代 77兵庫宿本陣跡”. 神戸市. 2023年10月16日閲覧。
  25. ^ 旧大久保本陣母屋(西光寺庫裏)について”. 明石市. 2023年5月20日閲覧。


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