明治初年とは? わかりやすく解説

明治初年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 21:23 UTC 版)

門司の歴史」の記事における「明治初年」の解説

周防灘 関門海峡 企救郡 文字ヶ関村 田野浦 門司 楠原 小森江 柳ヶ浦村 廿町 大里 柳 原町 馬寄 新町 東郷村 柄杓田 喜多久 黒川 大積 白野江 松ヶ江村 恒見 平山 伊川 吉志 今津猿喰 1871年明治4年7月廃藩置県が行われ、10月14日日田県企救郡は、豊津県(旧香春藩)、千束県(旧小倉新田藩)、中津県統合され小倉県となった1876年明治9年4月小倉県福岡県併合され、同じ年に三潴県のうち筑後一円福岡県入り豊前下毛郡宇佐郡福岡県から大分県割譲されたことで、現在の福岡県域が確定した1878年明治11年)の郡区町村編制法により、福岡県福岡区31の郡に編成された。1884年明治17年)頃の門司産業は、清酒場1軒、醤油場1軒、製塩場6軒であった企救郡では、1887年明治20年)、従来門司楠原合併されるなどの町村合併があった。1889年明治22年)、市制・町村制施行際し門司田野浦村小森江合併し文字ヶ関村となったまた、大里地区には柳ヶ浦村(やなぎがうらむら)、周防灘側には東郷村とうごうむら)、松ヶ江村まつがえむら)が成立した。 各人口範囲町村制施行時明治22年)の明治22年当時人口(人)明治元年当時町村名文字ヶ関村3,346 楠原郷の田野浦(たのうら)町、田野浦村(むら)、門司楠原(くすばる)柳郷小森江柳ヶ浦村2,696 柳郷の廿町(にじっちょう)(弐十町)、大里(だいり)柳村原町村東原町)、馬寄(まいそ)新町(馬寄新町)。 東郷村2,973 大積郷の白野江(しらのえ)大積(おおつみ)黒川(くろがわ)喜多久(きたく)伊川郷の柄杓田ひしゃくだ)松ヶ江村4,529 伊川郷の平山伊川(いかわ)吉志郷の猿喰(さるはみ)今津(いまづ)、畑(はた)吉志(きし)。沼郷の恒見(つねみ)

※この「明治初年」の解説は、「門司の歴史」の解説の一部です。
「明治初年」を含む「門司の歴史」の記事については、「門司の歴史」の概要を参照ください。

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