福原元俊
福原元俊 (12代当主)
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福原 元俊(ふくばら もととし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。安芸国国人領主。安芸福原氏の12代当主。 元服時に当時の主君(毛利氏当主)であった毛利隆元より偏諱(「元」の字)を受けて元俊と名乗る。永禄6年(1563年)に隆元が急死してからもその子・毛利輝元およびその後見役にあった隆元の父・毛利元就に仕えた。 天正16年(1588年)7月、豊臣秀吉より豊臣姓を賜る。また、翌年には嫡子の広俊も豊臣姓を賜る。しかし、天正19年(1591年)10月に病没する。 没年齢については『萩藩閥閲録』では51歳、『福原家系譜』では44歳とある。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
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福原元俊 (14代当主)
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福原 元俊(ふくばら もととし)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武士。毛利氏の家臣、長州藩家老。上記の12代当主・福原元俊(上総介)の孫にあたり、主君・毛利輝元より偏諱・毛利氏通字の「元」の字を受けたために祖父と同名を称すこととなった。 詳細は「福原元俊 (隠岐守)」を参照
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