赤松晴政とは? わかりやすく解説

赤松晴政(あかまつ はるまさ) 1513~1565

才松丸 次郎 政 左京大夫
◇父:赤松次郎 子:赤松義祐、則家
 父より譲られて、播磨備前美作守護赤松氏当主となるが、その父は翌年守護代浦上村宗殺され、自らも軟禁状態におかれた。その後宗の傀儡存在として播磨置塩城主となる。細川高国擁する宗が、摂津出兵した際、晴政はその政敵細川晴元通じ大物崩れの戦い宗は戦死した。しかし、晴政に領国経営する権威はすでになく、子義祐と対立して放逐され一族政秀を頼るが、復権はならなかった。

赤松晴政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/30 01:14 UTC 版)

赤松 晴政(あかまつ はるまさ)は、日本の戦国時代武将大名赤松氏の第11代当主。赤松義村の子。播磨備前美作守護。播磨置塩城城主。




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