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ほそかわ-たかくに ほそかは― 【細川高国】
戦国武将覚書 |
細川高国(ほそかわ たかくに) 1484~1531
◇父:細川政春 養父:細川右京大夫政元 子:細川稙国 養子:細川氏綱
摂津守護家細川氏一族。管領細川政元の養子。政元が廃嫡した養子澄之に殺されると、政元のもう1人の養子澄元らと共にこれを討った。その後、足利義稙と結んで将軍足利義澄や澄元を近江に逐い、幕政を独占して管領職に就くと共に摂津、丹波、讃岐、土佐の守護職を兼務した。高国の専横を嫌った義稙が阿波へ逃れると、新たに義澄の子義晴を将軍に迎える。1527年澄元の遺児晴元、三好元長らに敗れ、京都を逐われた。摂津・尼崎にて酒倉に隠れているところを発見され自刃。
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細川高国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/10/23 11:47 UTC 版)
細川 高国(ほそかわ たかくに)は、戦国時代の武将、大名。室町幕府管領、摂津・丹波・山城・讃岐・土佐守護。細川氏庶流である野州家の生まれであったが、本家を追い落として自ら権力を握った。
細川氏一門・野州家の細川政春を実父とし、やがて細川氏嫡流(京兆家)の管領細川政元の養子に迎えられた。そして、11代将軍足利義澄(当時は義高)より諱を与えられ、「高国」と名乗った。後に高国が管領に就任した際には、実父政春を備中守護に任命している。弟に晴国、通政(ただし、晴国には実子説もある)。実子に稙国、養子に氏綱らがいる。
養父政元が暗殺された後の混乱(永正の錯乱)を経て、同じく政元の養子であった阿波守護家出身の細川澄元を結果的に排除し、京兆家の家督を手中にした。澄元とは両細川の乱と呼ばれる抗争を長期に亘って継続したが、管領として幕政の掌握を続けた。
細川氏の権力構造の基礎には、「内衆」とよばれる分国の重臣達の支持が欠かせないものであったが、京兆家の抗争に伴って彼らも各々対立軸となり、大いに疲弊した。そこで高国がこれに代わる基盤としたのは、外様である大内氏の軍勢であった。しかし大内勢の帰国後は、これに代わる圧倒的な支持基盤を構築できず、最終的には澄元の嫡男・晴元に敗れて自害に追い込まれた。
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- ^ 『二水記』大永元年11月28日条に、高国が26日付で(新将軍の)管領に任じられた記事が見られる。
- ^ 西島太郎「中世後期の在地領主研究」(中世後期研究会 編『室町・戦国期研究を読みなおす 』(思文閣出版、2007年) ISBN 978-4-7842-1371-9)
- 1 細川高国とは
- 2 細川高国の概要
- 3 高国の偏諱を受けた人物
固有名詞の分類
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