小田治久とは? わかりやすく解説

小田治久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/20 03:45 UTC 版)

小田 治久(おだ はるひさ、1300年2月3日正安2年1月12日) - 1353年1月22日正平7年/文和元年12月17日[1])は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将小田氏の第8代当主。官位は宮内権少輔[2]尾張権守[2]常陸介[2]。初名は小田高知[3](おだ たかとも[4])。子に小田孝朝がいる[5]


  1. ^ a b 小丸俊雄『小田氏十五代 豪族四百年の興亡』上巻(崙書房、1979年)p.51
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 安田 1990, p. 111, 田代脩 「小田孝朝」、「小田治久」
  3. ^ a b 大日本史料』6-17 P.294(典拠は『常陸誌料』五 小田氏譜上)に「治久、初名高知、後醍醐天皇賜偏諱、因更治久、……(中略)……自延元元年至興國二年、……賜御諱…(以下略)」とある。同様の改名の事例として足利尊氏(初名高氏)が挙げられる。
  4. ^ a b c d 小田治久」 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』http://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%B2%BB%E4%B9%85 
  5. ^ 鑁阿寺新田・足利両氏系図』によると、常陸小田城主・小田真知の娘が新田義貞の正室となって新田義宗を生んだとしているが、義貞や義宗の活動した時期の同城城主は治久であり、小田氏の系図にその名前自体が見られないことから、特に誤りがなければ真知は治久のことを指している可能性がある。
  6. ^ 武家家伝_小田氏の系図では「小田貞朝(別表記:小田貞知)」となっている。
  7. ^ a b c d 網野善彦小田治久」 『世界大百科事典 第2版http://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%B2%BB%E4%B9%85 
  8. ^ 『佐竹古文書』には「小田代々城主之事、治久源朝臣、文和元壬辰年十二月十一日、御年七拾歳(70歳)御逝去、」とあり、『系図纂要』にも同様の記載がある。ただし「浅羽本 牛久系図」では享年を78とする(この場合1275年生まれとなる)。『大日本史料』6-17 pp.293-294に拠る。
  9. ^ a b c d e 山田邦明小田治久」 『朝日日本歴史人物事典』http://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%B2%BB%E4%B9%85 
  10. ^ 小丸俊雄『小田氏十五代 豪族四百年の興亡』上巻(崙書房、1979年)p.49
  11. ^ 紺戸 1979, p.15系図。高時は延慶2年(1309年)に元服し、応長元年(1311年)に父・貞時の死去に伴い得宗家の家督を継承しており、治久(高知)の元服はこれ以後ということになる。
  12. ^ 紺戸 1979, p. 15.
  13. ^ この時に親房は『神皇正統記』や『職源鈔』を執筆したとされている(近年の関連文献に、『神皇正統記』(岩佐正校注、岩波文庫、重版多数)、加地宏江『中世歴史叙述の展開 「職原鈔」と後期軍記』(吉川弘文館、1999年)、『和歌職原鈔』(今西祐一郎校注、平凡社東洋文庫、2007年)がある)。


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