高岡氏とは? わかりやすく解説

高岡氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 03:32 UTC 版)

高岡氏(たかおかし)は、日本氏族のひとつ。


注釈

  1. ^ 高岡泰重は八田知家の孫。小田知重の五男。
  2. ^ 高岡宗泰は佐々木義清の孫。佐々木隠岐守泰清の八男。
  3. ^ 三反田村から難波村迄の付近、現兵庫県尼崎市
  4. ^ 高岡貞望は饒速日命の後胤、物部麁鹿火(あらかひ)大連の男、物部磐弓(いわゆみ)連の支流、和泉国神別高岳首より出る一族という。

出典

  1. ^ a b c 太田 1934, pp. 3257–3259.
  2. ^ 『小田家風記』
  3. ^ 『烈士録』第24巻(太乾上)、松江藩編纂、江戸時代、「松江藩士・高岡氏」項、島根県立図書館
  4. ^ 『鰐淵寺文書』、鰐淵寺大衆條々連署起請文(所収『鎌倉遺文』)
  5. ^ 攝津多田神社文書『攝津多田院金堂上棟引馬注進状』(所収『鎌倉遺文』第17巻、235-236頁)
  6. ^ 『多田院堂供養御家人警固座図』1316年
  7. ^ 三田市史(下巻) 1964, p. [要ページ番号].
  8. ^ a b 「多田大権現、往古武威高名ヲ追ヒ、當度朝廷従り家人一統、京都大御所前江被為 召出、其上朝敵・賊会津征伐御軍兵ノ官軍ニ御差加江ニ相成、則チ北越、羽州、奥州迄軍務大総督宮兵部卿ニ随従仕リ、錦ノ旗ノ御旗本ト被仰付(中略)十二月二日迄相随ヒ、則チ官軍大勝利ニ而帰京ノ上、於 朝廷ニ前顕之通リ御酒肴夫々御感状下シ賜ル。多田満仲公の神名ト申、且ハ(多田)御家人之武名ヲ海内ニ輝シ難有奉存候。依之多田廟祖并ニ同八代之威英名ヲ後世ニ留ル起本、依之一統礼参如件」(『会津征伐御出陣日誌實録(4)』所収『戊辰戦争と多田郷士』420-431頁)
  9. ^ 『戊辰戦争と多田郷士』八木哲浩監修、宮川秀一著、兵庫県川西市役所、昭和59年(1984年)3月
  10. ^ 『会津征伐御出陣日誌實録(4)』慶応4戊辰歳6月22日、片山氏書(所収『戊辰戦争と多田郷士』)
  11. ^ 『多田郷士國所姓名書』明治二年二月、多田神社文書(所収『戊辰戦争と多田郷士』461-464頁)
  12. ^ 『禁裏御守衛士』慶応四辰正月、福原直七郎書、大阪府豊能郡能勢町・福原憲治文書(所収『戊辰戦争と多田郷士』276-280頁)
  13. ^ 『多田隊姓名録』慶応4年2月作製、大阪府豊能郡能勢町・中澤正夫文書(所収『戊辰戦争と多田郷士』287-290頁)※岩倉具視に提出するために作製されたと思われる。
  14. ^ 年齢は数え年
  15. ^ 『多田御家人国所名前控帳』御守衛士攝州武庫郡今津村・福田善之丞源忠重編纂、慶應四歳戊辰卯月吉辰調之(大阪府池田市・林田亮平文書)にも「差組村・高岡市左衛門」の名がある。(所収『戊辰戦争と多田郷士』303-306頁)
  16. ^ 兵庫県三田市鈴鹿は、高岡姓の密集地で、旧摂津国川辺郡羽束谷麻田領高平郷(麻田藩の飛地)。家紋は「丸に剣酢漿草」を用いる。
  17. ^ 高坂 1970, p. [要ページ番号].


「高岡氏」の続きの解説一覧

高岡氏(常陸)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 14:12 UTC 版)

「高岡氏」の記事における「高岡氏(常陸)」の解説

常陸高岡氏は、藤原姓八田知家小田知重流で、高岡泰重始祖とする一族本貫常陸国筑波郡高岡郷。

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高岡氏(出雲)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 14:12 UTC 版)

「高岡氏」の記事における「高岡氏(出雲)」の解説

出雲高岡氏は、宇多源氏佐々木義清流で、高岡宗泰始祖とする一族本貫出雲国神門郡塩冶高岡邑。のち山名時氏仕えて1393年明徳4年出雲本貫離れ但馬備後三次郡移住した1581年天正9年因幡丸山城落城の後、宮部継潤属した朝鮮征伐の後致仕して小出秀家麾下(きか)に属した和泉陶器かわらけ藩士の高岡氏(佐々木氏)はこの一族で、陶器藩が無嗣断絶した後、但馬戻った

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高岡氏(丹後)

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「高岡氏」の記事における「高岡氏(丹後)」の解説

丹後高岡氏は、物部氏支流高岳後裔で、高岡貞望(さだもち)を始祖とする一族。貞望の後裔高岡四郎貞躬が足利尊氏に従って勲功があり、丹後国与謝郡板並庄を賜い、丹後下向した。

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