一条兼定(いちじょう かねさだ) 1543~1585
一条兼定
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一条 兼定(いちじょう かねさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公家・大名。キリシタンでもある。土佐一条氏の事実上の最後の当主。従三位・一条房基の子。
- ^ a b c d e 『大海集[1]』
- ^ (マグダレナ)清田は、イエズス会の諸記録から見て、宗麟の長女ジュスタ(桑姬・清田鎮忠夫人)と先夫・一条兼定の女(ジュスタの連れ子として鎮忠の養女となる)。生誕は永禄12年(1569年)、寛永4年(1627)8月17日に宣教師を匿った廉で死刑に処せられた。隠された大友家の姫ジュスタ―「桑姫」再考―その③― 宗麟の娘ジュスタとマグダレナ清田のこと
- ^ a b 『雑記抄録[2]』
- ^ 鹿毛 2017, p. 411.
- ^ a b c 中脇 2013.
- ^ 大友記
- ^ 赤坂恒明「永禄六年の『補略』について : 戦国期の所謂「公家大名(在国公家領主)」に関する記載を中心に」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第11巻、埼玉学園大学、2011年、326(43)-311(58)、ISSN 1347-0515、CRID 1050282812975072256。
- ^ a b 『中村市史 正編』214頁
- ^ 『土州遺語[3]』
- ^ 山本大『長宗我部元親』(吉川弘文館、1988年)56頁
- ^ 朝倉慶景「天正時代初期の土佐一条氏(上)」(『土佐史談』166号、1984年)
- ^ 朝倉慶景「天正時代初期の土佐一条氏(中)」(『土佐史談』167号、1985年)
- ^ 朝倉慶景「天正時代初期の土佐一条氏(下)」(『土佐史談』172号、1986年)
- ^ 朝倉慶景「天正時代初期の土佐一条氏―いわゆる渡川合戦―(下の2)」(『土佐史談』175号、1987年)
- ^ 『中村市史 正編』216頁
- ^ 鹿毛 2017, p. 413.
- ^ 結城 1999, p. 231.
- ^ a b 鹿毛 2017, p. 415.
- ^ 高野山成福院所蔵の『土佐一条家并長曽我部家過去帳』による。『一条家譜略』は天正8年2月15日(1580年2月29日)に逝去とし、『系図纂要』は同年5月に元親によって毒殺されたとするが、何れも疑問が残る。
- ^ 「性質軽薄にして常に放蕩を好み、人の嘲を顧みず、日夜只酒宴遊興に耽り、男色女色し諂をなし、又は山河に漁猟を事とし、軽業力業異相を専ら」(『土佐物語』)。「形義荒き人にて、家中の侍共、少しの科にも扶持を放し、腹をきらせなどせらる」(『元親記』)。「軍国の大事はすてて問はず」「将を御するの道は督責を加ふるに在りとて刑罰を苛酷にし」(『海南志』)。
- ^ 石野弥栄 著「戦国期南伊予の在地領主と土佐一条氏」、市村高男 編『中世土佐の世界と一条氏』高志書院、2010年。ISBN 978-4-86215-080-6。
- ^ 朝倉慶景「天正時代初期の土佐一条氏」『土佐史談』166、167、172、175号。
- ^ 秋澤繁「織豊期長宗我部氏の一側面-土佐一条氏との関係(御所体制)をめぐって-」『土佐史談』215号、2000年。/所収:平井上総 編『長宗我部元親』戎光祥出版〈シリーズ・織豊大名の研究 第一巻〉、2014年。ISBN 978-4-86403-125-7。
- ^ 結城 1999, p. 230.
- ^ 中脇聖「摂関一条家と土佐一条家に仕えた「家司」―その顔ぶれと動き―」(日本史史料研究会監修・中脇聖編者『家司と呼ばれた人々』ミネルヴァ書房、2021年)
- ^ “市指定 一条兼定の墓”. 宇和島市. 2022年10月20日閲覧。
一条兼定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 17:58 UTC 版)
8巻より登場。土佐最大の勢力を誇る公家大名家の当主。オネエ口調で喋るが、実はすでに結婚している。土佐で最も美しいのは自分だと信じており、一方的に元親に対抗意識を持っている。しかし、お世辞にも元親よりも美しいとはいえず、家臣達からは本気で恥ずかしがられており、奇襲を受けた際にも盾にされるなど人望は一かけらも無い。
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一条兼定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 21:07 UTC 版)
『4』で登場。四国の章に登場。かつて長宗我部元親によって追放された、土佐の公家大名である名門一条家の当主。元親から土佐を奪い返そうと、大友家の支援を得て、四万十川の戦いで元親と対峙するが、敗れる。
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