一条兼定とは? わかりやすく解説

一条兼定(いちじょう かねさだ) 1543~1585


一条兼定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/14 01:58 UTC 版)

一条 兼定(いちじょう かねさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公家大名キリシタンでもある。土佐一条氏の事実上の最後の当主。従三位一条房基の子。


  1. ^ a b c d e 『大海集[1]
  2. ^ (マグダレナ)清田は、イエズス会の諸記録から見て、宗麟の長女ジュスタ(桑姬・清田鎮忠夫人)と先夫・一条兼定の女(ジュスタの連れ子として鎮忠の養女となる)。生誕は永禄12年(1569年)、寛永4年(1627)8月17日に宣教師を匿った廉で死刑に処せられた。隠された大友家の姫ジュスタ―「桑姫」再考―その③― 宗麟の娘ジュスタとマグダレナ清田のこと
  3. ^ a b 『雑記抄録[2]
  4. ^ 鹿毛 2017, p. 411.
  5. ^ a b c 中脇 2013.
  6. ^ 大友記
  7. ^ 赤坂恒明「永禄六年の『補略』について : 戦国期の所謂「公家大名(在国公家領主)」に関する記載を中心に」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第11巻、埼玉学園大学、2011年、326(43)-311(58)、ISSN 1347-0515CRID 1050282812975072256 
  8. ^ a b 『中村市史 正編』214頁
  9. ^ 『土州遺語[3]
  10. ^ 山本大『長宗我部元親』(吉川弘文館、1988年)56頁
  11. ^ 朝倉慶景「天正時代初期の土佐一条氏(上)」(『土佐史談』166号、1984年)
  12. ^ 朝倉慶景「天正時代初期の土佐一条氏(中)」(『土佐史談』167号、1985年)
  13. ^ 朝倉慶景「天正時代初期の土佐一条氏(下)」(『土佐史談』172号、1986年)
  14. ^ 朝倉慶景「天正時代初期の土佐一条氏―いわゆる渡川合戦―(下の2)」(『土佐史談』175号、1987年)
  15. ^ 『中村市史 正編』216頁
  16. ^ 鹿毛 2017, p. 413.
  17. ^ 結城 1999, p. 231.
  18. ^ a b 鹿毛 2017, p. 415.
  19. ^ 高野山成福院所蔵の『土佐一条家長曽我部家過去帳』による。『一条家譜略』は天正8年2月15日1580年2月29日)に逝去とし、『系図纂要』は同年5月に元親によって毒殺されたとするが、何れも疑問が残る。
  20. ^ 「性質軽薄にして常に放蕩を好み、人の嘲を顧みず、日夜只酒宴遊興に耽り、男色女色し諂をなし、又は山河に漁猟を事とし、軽業力業異相を専ら」(『土佐物語』)。「形義荒き人にて、家中の侍共、少しの科にも扶持を放し、腹をきらせなどせらる」(『元親記』)。「軍国の大事はすてて問はず」「将を御するの道は督責を加ふるに在りとて刑罰を苛酷にし」(『海南志』)。
  21. ^ 石野弥栄 著「戦国期南伊予の在地領主と土佐一条氏」、市村高男 編『中世土佐の世界と一条氏』高志書院、2010年。ISBN 978-4-86215-080-6 
  22. ^ 朝倉慶景「天正時代初期の土佐一条氏」『土佐史談』166、167、172、175号。 
  23. ^ 秋澤繁「織豊期長宗我部氏の一側面-土佐一条氏との関係(御所体制)をめぐって-」『土佐史談』215号、2000年。 /所収:平井上総 編『長宗我部元親』戎光祥出版〈シリーズ・織豊大名の研究 第一巻〉、2014年。ISBN 978-4-86403-125-7 
  24. ^ 結城 1999, p. 230.
  25. ^ 中脇聖「摂関一条家と土佐一条家に仕えた「家司」―その顔ぶれと動き―」(日本史史料研究会監修・中脇聖編者『家司と呼ばれた人々』ミネルヴァ書房、2021年)
  26. ^ 市指定 一条兼定の墓”. 宇和島市. 2022年10月20日閲覧。


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一条兼定

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殿といっしょ」の記事における「一条兼定」の解説

8巻より登場土佐最大勢力を誇る公家大名家当主オネエ口調で喋るが、実はすでに結婚している。土佐で最も美しいのは自分だと信じており、一方的に元親に対抗意識持っている。しかし、お世辞にも元親よりも美しとはいえず、家臣達からは本気で恥ずかしがられており、奇襲受けた際にも盾にされるなど人望は一かけらも無い。

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戦国無双シリーズ」の記事における「一条兼定」の解説

『4』で登場四国の章に登場。かつて長宗我部元親によって追放された、土佐公家大名である名門一条家当主。元親から土佐奪い返そうと、大友家支援得て四万十川の戦いで元親と対峙するが、敗れる。

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