ほうじょう‐うじまさ〔ホウデウうぢまさ〕【北条氏政】
北条氏政
北条氏政(ほうじょう うじまさ) 1538~1590
◇父:北条氏康 室:武田信玄女 子:北条氏直、太田源五郎、北条十郎氏房、千葉七郎直重、北条新太郎直定、采女、勝千代
氏康2男。父存命中に相模・北条氏家督を継ぐ。父死後は、越後・上杉氏と手を切って、甲斐・武田氏と結び、常陸・佐竹氏、下野・小山氏ら北関東に弟氏照を司令官として派し、その勢力を拡げた。氏政は武より文に秀いで、「北条氏所領役帳」を作成する等内政面で実績を残している。しかし豊臣秀吉の上洛命令に応じなかった為、小田原征伐を招き籠城するが、内応者が現れて結束を乱して降伏、責を取って自害した。享年52歳。父氏康は氏政が飯に汁を数回かけて食べているのを見て、“一杯の飯にかける汁の分量を量れずして、国盗りを量れようか”として氏政は将器でない旨嘆いたという。
北条氏政
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北条 氏政(ほうじょう うじまさ)は、戦国時代の相模国の戦国大名・武将。後北条氏の第4代当主。父は北条氏康、母は今川氏親の娘・瑞渓院。今川義元の甥にあたる。子に北条氏直など。正室の黄梅院は武田信玄の娘で、武田義信や武田勝頼とは義兄弟にあたる。通称は新九郎で、官位の左京大夫または相模守も同様に称した。号は截流斎。
注釈
- ^ 西堂丸は氏政の弟である上杉景虎の幼名としても使われているが、天文18年段階で景虎は誕生していない。また、健在である兄弟が同じ幼名を使うことはないので、西堂丸を名乗っていたのは景虎誕生前に死去した氏親となる。
- ^ なお、勝頼は北条氏に対して常陸佐竹氏との甲佐同盟や安房の里見氏ら関東の諸族と同盟関係を結んでいる一方、同時期には織田氏との和睦を試みている(甲江和与)。
- ^ 氏政は秀吉への全面従属には反対であったため、親徳川の氏直をたてたとされるが、後に氏政自身が上洛することを家臣・国衆に通知しており、氏政が主戦派であったとの見解については疑問がある。また、氏政自身は沼尻の合戦を最後に自ら出陣することをせず、氏直に官途名の左京大夫を譲るなど、公の場では氏直をもって北条氏の当主としていた[20]。
出典
- ^ a b c d e 黒田 & 浅倉 2015
- ^ 黒田 2019, p. 10.
- ^ 黒田 2012.
- ^ 黒田 2019, pp. 10–11.
- ^ 黒田 2019, p. 11.
- ^ 黒田基樹「北条「新九郎」氏政について」『戦国史研究』21号、1991年。
- ^ 佐脇栄智「小田原北条氏代替わり考」『日本歴史』93号、1956年。/所収:佐脇栄智『後北条氏と領国経営』吉川弘文館、1997年。
- ^ a b 浅倉直美「北条氏政正室黄梅院殿と北条氏直」『武田氏研究』第59号、2019年1月、1-13頁。
- ^ a b 海老名真治 著「氏康と武田信玄-第一次甲相同盟の展開-」、黒田基樹 編『北条氏康とその時代』戎光祥出版〈戦国大名の新研究2〉、2021年、296-297頁。
- ^ a b 黒田 2020, pp. 9–12.
- ^ 同年10月8日付け、氏康から謙信宛の書状より(上杉家文書)
- ^ 上杉家文書・御書集・展観入札目録
- ^ 上杉家文書、氏政から由良正繁宛書状・集古文書
- ^ 『戦国遺文』後北条氏編 - 2197号
- ^ 黒田 2020, p. 13.
- ^ a b 黒田 2012, p. 157
- ^ a b 黒田 2018, p. 170.
- ^ 黒田 2018, p. 171.
- ^ a b c 黒田 2012, p. 159.
- ^ 黒田 2020, p. 14.
- ^ a b 黒田 2018, p. 239.
- ^ 黒田 2018, p. 252.
- ^ 黒田 2018, p. 253.
- ^ 歴史と文化の香るまち散策コース 神奈川県県西地域県政総合センター商工観光課、2021年11月18日閲覧
- ^ 黒田 2005.
- ^ 下山治久『小田原合戦』角川書店、1996年。
- ^ 黒田 2012, p. 220.
- ^ 黒田 2012, pp. 220–221.
- ^ a b c 黒田 2012, p. 221.
- ^ 酒井抱一・集外三十六歌仙(姫路市立美術館)
- ^ 宮本常一『家郷の訓』(岩波文庫 青 164-2)ISBN 4003316428
- ^ 茨城県史 1986, p. 323.
- ^ “はかなき我が身 天下人 能を舞う”. 読売新聞 (2013年9月4日). 2018年2月6日閲覧。
- ^ 能楽師・柴田稔Blog:2007年7月17日[1]
- ^ “北條五代祭り 高嶋政伸さんの「氏政」に大声援 小田原”. 毎日新聞 (2017年5月4日). 2017年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月5日閲覧。
- ^ “第54回北條五代祭り 勇姿ふたたび 早雲 合田雅吏さん、氏政 高嶋政伸さん”. タウンニュース. 株式会社タウンニュース社 (2018年3月3日). 2018年5月3日閲覧。
- ^ “北條五代祭りで勇壮戦国絵巻 一族役に合田さん、高嶋さん”. カナロコ. 神奈川新聞 (2019年5月4日). 2019年8月1日閲覧。
北条氏政(ほうじょう うじまさ)
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「軒猿 (漫画)」の記事における「北条氏政(ほうじょう うじまさ)」の解説
小田原北条氏四代当主。妻の黄梅院にべた惚れしている。やや気弱な面が見られる。
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北条氏政
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武蔵・相模・伊豆三国くらいで、猿の下風に立つなど話のほかだと、降伏を受けつけなかったが、その後、重臣・松田憲秀の裏切りの打撃を受けていたところに、如水の熱弁真情あふれる和談の口上の厚情に思わずホロリとし、和平の心を決まる。如水は、和議の応じて祖先の祭祀を絶やさぬ分別が大切であると説いた。しかし降伏開城の前に、裏切り者の松田憲秀の首をはねたことに端を発し、秀吉に死を命ぜられ、亡ぼされる。
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北条氏政
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氏康の嫡子。父が小田原城に施した突飛な仕掛けや裸で過ごす様を盲目的に尊敬している。ただ、今のところ彼には脱ぎ癖はない。また世間知らずなところがあり、食べられない収穫したての麦を食べようとするエピソードが綱成によって語られているが、氏康によれば、北条一族は皆、そのことを知らないらしい。甲相駿三国同盟の裏で開催された「姫コン」により、武田晴信の娘(前述)と結婚した。
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北条氏政(ほうじょう うじまさ)
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「テンカイチ 日本最強武芸者決定戦」の記事における「北条氏政(ほうじょう うじまさ)」の解説
風魔小太郎を擁してテンカイチに挑む関東の大名。人の左手首から先の干物を首から下げ、取り乱したときなどはその左手を妻(ママ)と呼び声を掛けている。
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北条氏政(ほうじょう うじまさ)
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「センゴク」の記事における「北条氏政(ほうじょう うじまさ)」の解説
通称は新九郎、隠居後は截流斎。後北条家四代目当主。父・氏康に似ず、恰幅の良い体格。次代の氏直からは「公儀となりて、民衆を気高きものと導いた」と評される。
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北条氏政
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北条氏康の長男。貴族然とした頼りなさそうな風貌の男。茶漬けを手にしており、父・氏康からはド阿呆呼ばわりされている。本編でも氏康の息子、北条家当主としてしばしば登場している。
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北条氏政
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北条氏政
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家督を譲った息子・氏直とともに秀吉に対抗する関東の大大名。天下人である秀吉を「恐るるに足らず」と笑い飛ばすほどの豪胆な性格の人物だが、配下の風魔衆を使って豊臣勢を内外から揺さぶるなど、なかなかの策略家でもある。いつも酒を飲んでおり、盃を手放さない。しかし最終的には秀吉から圧倒的な数の軍勢をもって小田原征伐を受け、全てが灰燼に帰した。その際は黒々としていた髪やヒゲが見る影もなく真っ白になっていた。
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北条氏政
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「徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「北条氏政」の解説
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