北条氏族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 06:55 UTC 版)
尾張国中島郡平野村(愛知県稲沢市)発祥の氏族。 桓武平氏直方流と称した鎌倉幕府の執権北条氏の庶流の北条惟時の子孫。江戸時代の旗本。明治時代の田原本藩藩主家。家紋は「丸に三つ鱗」、「九曜」。 賤ヶ岳の七本槍の一人、平野長泰は舟橋家清原枝賢の子、平野長治の子である。 平野長泰は豊臣秀吉に仕え、1595年(文禄4年)に大和国十市郡田原本5,000石の知行を与えられた。関ヶ原の戦いを境に徳川秀忠に仕え、江戸時代を通して旗本交代寄合として存続した(ただし長泰の血統は2代長勝で途切れている)。1868年(慶応4年)、第10代長裕のときに石高が見直され5,000石加増の1万石で大名諸侯に列し、田原本藩となった。平野氏はその後、翌1869年(明治2年)からの3年間知藩事を勤めた。1884年(明治17年)、子の長祥が男爵を授けられた。
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