桜井松平家
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桜井松平家(さくらいまつだいらけ)は、清和源氏と称する松平氏の庶流である武家・華族だった家。
注釈
- ^ 俗名を「玄蕃允源信忠」と記すが、同時期の松平一族で官途名の玄蕃允を名乗ったのは親房しかいないため、誤記とみられる。[独自研究?]
- ^ 旧尼崎藩は現米2万7670石(表高4万石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[8]
出典
- ^ 村岡幹生「松平信定の事績」『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院、2023年)、P216-219.
- ^ 村岡幹生「松平信定の事績」「安城四代清康から広忠へ-守山崩れの真相と松平広忠の執政開始-」『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院、2023年)、P225-231・242-249.
- ^ 新田完三 1984, p. 45.
- ^ a b 新田完三 1984, p. 45-47.
- ^ 新田完三 1984, p. 47-48.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 151.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 332.
- ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 404.
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「桜井松平家」の続きの解説一覧
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- 2 桜井松平家の概要
- 3 歴史
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