数独
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 02:30 UTC 版)
歴史
フランスの日刊紙「ル・シエクル[注釈 3]」は1892年に、2桁の数字を使用する同様のパズルを掲載している。1895年には別の日刊紙「ラ・フランス[注釈 4]」が1桁の数字で9×9の盤面を埋めるパズルを掲載しているが、これは3×3のブロックを用いていなかった。これらのパズルはしばらくフランスのいくつかの新聞に毎週掲載されていたが、いずれも第一次世界大戦前後には姿を消した。
現在の数独は、アメリカ人建築家ハワード・ガーンスが匿名で考案したものである。これは18世紀にスイスの数学者レオンハルト・オイラーが考案した、ラテン方陣あるいはオイラー方陣と呼ばれるものに、3×3のブロックという新たな制限を付け加え、ペンシルパズルとしたものである。これは「ナンバー・プレイス[注釈 5]」の名前で1979年にニューヨークの出版社デル・マガジン社から初めて出版された。当時から「フィギュアー・プレイス[注釈 6]」という名称も存在している。
日本には、ニコリの『月刊ニコリスト』1984年4月号で、「数字は独身に限る」の題で初めて紹介された。作者及び命名者はニコリ社長の鍜治真起である[13]。
1988年4月1日、ニコリから単行本『ペンシルパズル本6・数独1』が刊行された際、ニコリによる公式な略称として「数独」という名称が使用され始めた。以後数年間は「数字は独身に限る」の方が引き続き正式名称で、「数独」が正式名称となったのは1992年3月1日発行の『パズル通信ニコリ37号 はる分』からである。
世界的な流行は、1997年に59歳のニュージーランド人ウェイン・グールドが日本の書店で数独の本を手にとったことに始まる。グールドは6年後、数独をコンピュータで自動生成するプログラムを作ることに成功した。イギリスの新聞・タイムズに売り込み、2004年11月12日から Su Doku の名で連載を開始した。2005年4月から5月にかけてブームに火が付き、インデペンデント、ガーディアン、ザ・サン、デイリー・ミラーなどイギリスの主要日刊紙に軒並み掲載されるという状況になった。2005年7月1日にはテレビ局スカイ・ワンが、数独をテーマにした初のテレビ番組を放映。イギリスでの人気は他国にも飛び火し、パズルとしては1980年ごろのルービック・キューブ以来の大流行と言われた。
注釈
出典
- ^ 西山豊「Sudokuがイギリスで大ブレイク」『数学セミナー』(日本評論社), Vol.45, No.5, 40-44, 2006年5月
- ^ “「数独」の名付け親、鍜治真起さん死去 ニコリを設立:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年8月18日閲覧。
- ^ “「数独」鍜治真起さん死去 読者参加でファン拡大、世界に2億人”. 毎日新聞. 2021年8月18日閲覧。
- ^ 社会部 村井正美; 社会部 渡辺光彦 (2008年3月26日). “[解説]高校教科書検定…1冊で383か所指摘も、文科省の厳しさ浮き彫り”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). オリジナルの2008年5月17日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「数独データランド」(数独通信Vol.16、ニコリ、2009年11月10日)
- ^ 数独の初期ヒント最小個数は「17」、それ未満では解けないと数学者が結論
- ^ ヒント数最大のナンプレ 稲葉のパズル談話室 2008年6月16日
- ^ 瀬山士郎 編『数学は楽しい』日経サイエンス、2010年2月18日。ISBN 978-4-532-51169-2。
- ^ ニコリ『数独通信』Vol.18(2010年5月)P.44-45「数独データランド」
- ^ プログラミングパズル雑談コーナー 2006年7月10日の書き込み
- ^ GPCC 2011(2011年5月29日閲覧)
- ^ “ギネス世界記録™達成!TIM提供、世界最大のマルチナンプレ・パズル ~『数学の祭典 MATH POWER 2018』にて正式認定~”. Webシステム開発/教育ソリューションのタイムインターメディア. 2021年4月22日閲覧。
- ^ 「鍜治真起の足あと」P.50 ニコリ刊
- ^ Jarvis, Frazer; Ed Russell (2005年9月7日). “There are 5472730538 essentially different Sudoku grids ... and the Sudoku symmetry group”. Frazer Jarvis's home page. 2006年9月16日閲覧。
- ^ 数字のパズルの本 | WEBニコリ
- >> 「数独」を含む用語の索引
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