カトマンズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/23 09:54 UTC 版)
概要


カトマンズ盆地は5山に囲まれ、バグマティ川、ビシュヌマティ川の2つの川が貫通し、両川に抱かれるような形でカトマンズの町は広がっている。約8000年前までは湖底であった[2][3]。カトマンズ盆地の起源は伝説によるとスワヤンブー(Swayambhu、創造者)にあり、文殊菩薩(マンジュシュリー)が旅の途中で見た湖に咲く蓮の花にお参りするために南にある山を削り湖の水を流したところ、その後に肥沃な土地が出現し、人々が住みつくようになった。これがカトマンズ盆地の始まりであるという。それ以来、蓮の花が咲いていた丘はスワヤンブーの住む聖なる場所と崇められるに至った。スワヤンブの光はあまりにも美しく輝き眩しいために、覆われることになり、13世紀ころまでには多くの建物やストゥーパなどが建てられたり、ヒンドゥー教と仏教のそれぞれの像が祀られ、僧坊、寺院などの建立も相次いだ。この寺院が現在は「カトマンズの盆地」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されているスワヤンブナートである[4]。
首都という場合、通常カトマンズ市をさすが、単にカトマンズという場合、カトマンズ盆地全体、カトマンズ郡(カトマンズ市部を含む)、あるいはカトマンズ首都圏(カトマンズ、パタン、バクタプルの各市部)を指す場合もある。かつてはヒッピーのメッカであり、ヒマラヤ登山の玄関であるため多くの高名な登山家も一度は足を止める場所でもある[5]。
カトマンズ旧王宮広場(ダルバール広場)の南西の隅に、一本の木(काष्ठ、カスタ)からできたという伝説をもつ祭場(मण्डप、マンダプ)がある。この建造物の名称、カスタマンダプ (काष्ठमण्डप、kashthamandap) がカトマンズの名の由来だと言われる。建立年は不明だが12世紀頃ではないかと考えられている。
ネパールの人口は2,649万人(2011年の人口調査による)で、カトマンズ盆地には176万人が住んでいる[6][7]。残りのほとんどの人々は山村で生活している。山村に住む人たちにとってはカトマンズは憧れの土地で、カトマンズ盆地を「ネパール」と呼び、カトマンズに行くことを「ネパールに行く」という[5]。
注釈
出典
- ^ “Nepal/Cities & Municipalities”. Citypopulation.de (2022年2月11日). 2022年2月25日閲覧。
- ^ 盆地全域に数百mの厚さの湖や河川堆積物があり、市内におけるボーリングデータでは地表から少なくとも深さ20mまでは特に軟弱な地層がある。ネパールでは1833年と1934年に100年の間隔で大きな地震が発生し、過去数百年にわたる巨大地震の空白域がカトマンズの周辺とその西部地域にある。これらから近い将来の大地震被害が心配されている。
- ^ 中部ヒマラヤ巨大地震とカトマンズの危機ゴンドワナ地質環境研究所
- ^ Visit Nepal '98公式サイト - カトマンズ(KATHMANDU)
- ^ a b c d e f g h i 『地球の歩き方 ネパール'96-'97』(ダイヤモンド社)
- ^ 外務省“ネパールに対する無償資金協力(カトマンズ-バクタプール間道路改修計画)に関する書簡の交換について”平成20年7月17日
- ^ DTACネパール観光情報局
- ^ a b エリア・スタディーズ(2000):33
- ^ a b c エリア・スタディーズ(2000):34
- ^ a b c エリア・スタディーズ(2000):35
- ^ エリア・スタディーズ(2000):41
- ^ 2008年度大学入試センター試験 第4問 問2
- ^ “NORMALS FROM 1981-2010”. Department of Hydrology and Meteorology (Nepal). 2012年10月14日閲覧。
- ^ “World Weather Information Service – Kathmandu”. UN (2011年6月). 2010年5月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『地球の歩き方』ネパール2007-2008版 P33
カトマンズと同じ種類の言葉
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