シッディナラシンハ・マッラとは? わかりやすく解説

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シッディナラシンハ・マッラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/18 07:18 UTC 版)

シッディナラシンハ・マッラ

シッディナラシンハ・マッラ(Shidhinarasingha Malla、生年不詳 - 1710年)は、ネパールパタン・マッラ朝の君主(在位:1619年 - 1661年)。

生涯

パタンを統治していたカトマンズ王太子ハリハラシンハ・マッラの次男として生まれた。

父の死後、シッディナラシンハは母とともにパタンに、一方兄ラクシュミーナラシンハ・マッラと祖父でカトマンズ王シヴァシンハ・マッラはカトマンズにいた。そのため、1619年にパタンの重臣らは12歳のシッディナラシンハを王に、新たにパタン・マッラ朝を創始した。

その後、ラクシュミーナラシンハが優柔不断であるのを見て、バクタプルと組んでカトマンズを包囲し、パタンはカトマンズと「敵になるも味方になるも同一行動」という友好条約を強要した。

だが、ラクシュミーナラシンハが息子プラターパ・マッラに代わると、彼はパタンを攻撃しようと画策した。そのため、1628年頃にゴルカラーム・シャハをパタンに迎え、友好関係を結んだ。

1637年、プラターパの軍勢がカトマンズを攻めたが、このときはゴルカ王ダンバル・シャハの援軍が駆けつけた。ゴルカの援軍は敗れたが、パタンの民衆が立ち上がって撃退した。

1661年、シッディナラシンハは息子シュリーニヴァーサ・マッラが反抗したのを見て退位し、シュリーニヴァーサが王位を継承した。その後、ヴァーラーナシーへと行き、1710年にそこで死亡したといわれる。

参考文献

  • 佐伯和彦 『ネパール全史』 明石書店、2003年 

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