ゴルカ王国とは? わかりやすく解説

ゴルカ王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/12 15:10 UTC 版)

ゴルカ王国
गोर्खा
1559年 - 1768年
公用語 ネパール語
首都 ゴルカ
ラージャ
マハーラージャ
1559年 - 1570年 ドラヴィヤ・シャハ
1743年 - 1775年 プリトビ・ナラヤン・シャハ
変遷
成立 1559年
ネパール王国となる。 1768年12月21日

ゴルカ王国(ゴルカおうこく、ネパール語:गोर्खा、英語:Gorkha)は、1559年から1768年まで続いたネパール王朝ネパール王国の前身となった王国でもある。

歴史

16世紀、ヤショー・ブラフマ・シャハ(Yasho Brahma Shah)がカスキ王国(現カスキ郡)を征服した。

1559年、ヤショー・ブラフマの子、ドラヴィヤ・シャハ(Dravya Shah)がゴルカ王国(ゴルカ朝)を確立。当時、ネパールは多くの独立した小国に分かれており、ゴルカは二四諸国にも数えられないほどの小国であった[1]

カトマンズ盆地では、1484年ラーヤ・マッラバクタプル・マッラ朝から、ラトナ・マッラカトマンズ・マッラ朝が独立。1619年シッディナラシンハ・マッラパタン・マッラ朝が独立し、マッラ朝は三王国時代に入る。

ラーム・シャハの治世、パタンを訪れてパタン・マッラ朝と友好関係を結び、以後ゴルカとパタンの友好関係が続いた[2]

ダンバル・シャハの治世、1637年にパタン・マッラ朝がカトマンズ・マッラ朝のプラターパ・マッラに攻撃されると、パタンに援軍を送った[1]。だが、ゴルカの援軍はカトマンズ軍に敗北した。

ルドラ・シャハもまた、1671年にパタン王シュリーニヴァーサ・マッラに援軍を送り、マクワンプル・セーナ王国の攻撃に向かわせている[1]

ルドラの息子プリトビパティ・シャハの代になると、パタンとの友好政策を転換し、三都マッラ朝に対して様々な権謀戦術を用いた[3]。ときにはパタンを孤立させ、またあるときにはカトマンズを孤立させた。

次のナラ・ブーパール・シャハも同様の政策を取り、とくに1725年には目まぐるしい三都対策を行ったばかりか、その後も三都に揺さぶりをかけ続けた[4]。また、チベット交易の要衝ヌワコートを奪取しようと試みたが、このときは三都マッラ朝の結束した攻撃にあって失敗した[4]

1743年プリトビ・ナラヤン・シャハが王位を継承すると、ネパール統一に乗り出す。1767年キルティプルの戦い1768年カトマンズの戦い英語版で、ネワール族のマッラ朝にゴルカ軍が勝利。同年9月、彼はネパール王に即位する[5]。その後、1769年までにパタン、バクタプルも制圧し、盆地を統一した。

こうして、ゴルカ王国はネパール王国としての歴史を歩むこととなった。

歴代君主

  1. ドラヴィヤ・シャハ(在位:1559年 - 1570年)
  2. プールナ・シャハ(在位:1570年 - 1605年)
  3. チャトラ・シャハ(在位:1605年 - 1609年)
  4. ラーム・シャハ(在位:1609年 - 1633年)
  5. ダンバル・シャハ(在位:1633年 - 1645年)
  6. クリシュナ・シャハ(在位:1645年 - 1661年)
  7. ルドラ・シャハ(在位:1661年 - 1673年)
  8. プリトビパティ・シャハ(在位:1673年 - 1716年)
  9. ナラ・ブーパール・シャハ(在位:1716年 - 1743年)
  10. プリトビ・ナラヤン・シャハ(在位:1743年 - 1768年)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.487
  2. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.486
  3. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.488
  4. ^ a b 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.489
  5. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.496

参考文献

  • 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。 

関連項目


ゴルカ王国

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ゴルカ朝」の記事における「ゴルカ王国」の解説

16世紀、ヤショー・ブラフマ・シャハ(Yasho Brahma Shah)がカスキ王国(現カスキ郡)を征服した1559年、ヤショー・ブラフマの子ドラヴィヤ・シャハDravya Shah)がゴルカ王国を確立当時ネパール多く独立した小国分かれており、ゴルカ二四諸国にも数えられないほどの小国であった

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「ゴルカ王国」を含む「ゴルカ朝」の記事については、「ゴルカ朝」の概要を参照ください。

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